2007年2月の日記


2007年2月1日(木)

 後藤田チーフからいただいたリストによれば、彼がまだ手に入れていないカードは、全部で17種類。
 そのうち、私のダブりカードの山の中にあったのは、実に14種類

 BOXって、最強ですね。

 その14枚を持ち、バイトへGO。後藤田チーフに、お渡しします。

 大喜びし、休憩室にて、自分のバインダー(第2記録のオフィシャルバインダーではない)に、カードを入れていく彼。
 そのすぐそばには、珍しそうにバインダーの中をのぞき込む、見慣れない人物の姿がありました。

 磯部チーフに代わって本日赴任してきたばかりの、青果部の秋田チーフ(仮名、推定年齢30代前半・男)です。

 秋田チーフ、大変、驚いておいででしたよ。

こりゃあ、とんでもない店に来ちまったなあ……
 というような、顔をしていました。


2007年2月2日(金)

 オートパッカーを使っての、トレイに入った生肉をパックする作業中、ミスを犯してしまいました。
 パック後の商品の表面に貼る、商品名や加工年月日や消費期限が書かれたシール。私、そのシールに記載される加工日の、入力を誤ってしまったのです。
 本来ならば、当然、パック詰めされたお肉には、切ったその日の日付が付かなければなりません。なのに私、数字を打ち間違え、加工日を、今年の2月21日にしてしまったのです。

 もちろん、すぐに気づき、新しいシールを作り直し、貼りましたよ。そのまま、その、未来からやってきた不思議なシールを貼って、売り場に出してしまうというような、おバカ極まるマネはしませんでした。
 もし、そのまま売り場に出していたなら、それはもう、大騒ぎになっていたことでしょう。

 よし! この調子だ。
 この調子で行けば、きっと私、就職してから、大成するはずです。
 ラスボス会社にて、春井さんや清水さんのようなポジションを確立できそうです。


2007年2月3日(

 本日は、節分。

 昼過ぎに、佐藤さんが、メールで伝えてきました。
 風邪をひいたそうです。

 今日は、彼女の代わりに、私が、バイトに行くことになりました。
 私って、お人よしですね。

 働きまくって、閉店後。いくつかの商品を手に、レジに向かいます。

 村井(兄)さんに頼まれて注文した、鮮魚の社販の恵方巻、1000円
 岸さんに頼まれて注文した、総菜屋の恵方巻、980円
 春井さんに頼まれて注文した、精肉の社販の、ウィンナーやハムのセット、500円。

 先月中に予約したこれらの品を、買って帰らなければならなかったのです。

 私ったら、本当に、お人よしですねえ。
 こんなに付き合いのいいバイトなんて、他にいませんよ。
 恵方巻を、複数の部門から買っちゃってるくらいですからね。

 帰宅したら、晩ご飯。いうまでもなく、恵方巻。2本とも、食います。
 面倒なので、向く方向なんて、ちっとも考えずに食いました。
 丸かじりにすると食いにくいので、包丁で輪切りにして、一片ずつ食いました。
 美味でしたよ。

 別にいいんです、これで。
 私、何も、風習や風潮に従って、恵方巻を買ったわけじゃないんですから。
 村井(兄)さんと岸さんが、私にお願いする際に、それぞれ見せてきた写真。それらの写真の恵方巻が、とっても美味しそうだったから、ついつい予約しちゃったってだけの話なんですから。


2007年2月4日(

 今日もまだ、佐藤さんは、体調が悪い様子。
 今日もまた、私、彼女に頼まれ、その代わりに働くことになりました。

 エラい!

 お仕事は、朝から晩まで。いつも私がやっている、日曜日の昼間のお仕事と、佐藤さんから託された、夜のお仕事。
 ちょいと忙しそうだったので、開店前に出勤。閉店後まで、働きました。

 いやはや、疲れ申した。全業務をやり遂げ、家に着いたころには、もう、くたくたでしたよ。
 私の年齢で、どうしてこんなに疲れてしまうのだろう。

 少し考えてみたら、すぐに、原因は分かりました。

 私、店にいる間中、ほぼずっと、立ちっぱなしだったのです。
 もちろん、休憩時間はありました。ありましたが、その休憩時間中ですら、飯を食べてる十数分の間以外は、全く、どこにも腰かけなかったのです。
 そりゃあ、疲れるはずです。

 もう少し深く考えてみたら、もう一つ、原因が見つかりました。

 そういえば私、昨晩から今朝にかけて、ずっと、酒を飲み続けていたのでした。


2007年2月5日(月)

 佐藤さん、復活を遂げました。

 もう大丈夫だと、普通に働けると、メールで告げてきました。

 ありがたや。これで今日は、代理出勤の必要はなし。ゆっくりと、休める。
 一日中、ぐうたらして過ごしました。ごろごろして過ごしました。

 溜まっている日記を、早く書き上げなければならない。
 そんな現実から、すっかり逃げ切って、晴れやかな気持ちになれた、一日でした。


2007年2月6日(火)

 本日は、加工肉が沢山やってくるとのことで、肉屋のバイトは、2人とも出勤でした。

 作業場で、佐藤さんと、ちょっと雑談。
 彼女が言うには、数日前、古谷チーフ、こんなことを語っていたそうです。
「樫木さんは、絶対に歳をごまかしてる。俺でも話についていけないことが、よくある。やっぱり絶対に、俺より年上だ
 と、こんなようなことを。

 なるほど。チーフめ、私のいないところでは、言いたいことを言ってくれちゃってるわけですか。

 まあ、私の前でも、いつも、おんなじようなことを言ってるんですけどね。

 チーフばかりじゃ、ありません。佐藤さんも、一緒です。
 彼女も、ずいぶん前から、たびたび私に、似たような発言を、かましてくるのです。

 チーフと佐藤さん。二人して、私に対し、「昭和40年ごろの生まれ」というレッテルを、貼ってくるのです。

 やだなあ、二人とも。
 よほどオイラに、嫉妬しているんだな。


2007年2月7日(水)

 昨日の日記ににも書き記した通り、古谷チーフと佐藤さんから、実年齢よりだいぶ年上として扱われている、私。

 そういえば、こんなことも、ありました。

 以下は、去年の9月27日に、精肉作業場にて交わされた、私・古谷チーフ・佐藤さんの、3人による会話です。

 チーフ:「今、売り場で偶然、同級生と会った」
 私:「ああ。さっき喋ってた、子供連れの人ですか」
 チーフ:「うん。その同級生が、ちょっとドキドキしちゃうような人で。今も少し、ドキドキしてる」
 佐藤さん:「チーフって、結構乙女チックなんですね」
 私:「俺、チラッとしか見てないんすけど、なんか、可愛らしい感じの人でしたよね。……俺の歳で、35歳くらいの人に『可愛らしい』とか言うのも、どうかと思いますけどね
 チーフ:「それもそうだな(笑)」
 私:「そうですよね(笑) でも、そういうの、結構あるんですよ。こないだ、『富田靖子カワイイな』とか思ってたら、37歳だった
 チーフ:「ハハハハハハハ」
 佐藤さん:「先輩、年下好きなんですね


2007年2月8日(木)

 今日は、お出かけ。肉屋の仕事は佐藤さんに任せ、閉店業務は桐島さん一人に任せ、お出かけ。電車に乗って、ラスボスタウンまで行ってきました。

 実は今日、来年度、共にラスボス会社に入社することになる、いわゆる同期の人たちとの、飲み会があったのです。

 この、飲み会の話が、最初に持ち上がったのは、昨年暮れの、ラスボス会社の忘年会の、二次会の最中でした。
 その時に、幹事を決め、みんなで連絡先を交換。その後、幹事さんが、メールで全員に都合を聞き、日時等を調整。そして迎えたのが、今日のこの日なのです。

 集合時間は、夜の7時前。場所は、ラスボス本社の最寄り駅、すなわちラスボス駅の、切符売り場付近。
 飲み会メンバーは、私も含めて、全部で6名。忘年会に参加し、二次会にも参加した人が、5名。忘年会に不参加だった人が、1名です。
 忘年会に参加しなかった1名の方は、今回の飲み飲みメンバーの一人と、内定式の際に仲良くなり、その時にすでに、連絡先を交換し合っていたそうです。彼が、今日の飲み会に参加することができたのは、そのためです。

 全員揃ったら、みんなで、幹事さんの後に続いて、歩きます。彼が予約してある、駅前の飲み屋に、向かうのです。

 道中での雑談。嬉しくなっちゃいました。やっぱり僕たちは、仲間です。
 皆さん、私と同じく、大晦日が提出締め切り日だった課題を、大晦日に提出したクチだったのです。

 やがて、目的の店に到着。6人で1つのテーブルを囲み、着席。酒を飲み、幹事さんが予約してあった鍋料理のコースを食し、和気藹々と、話し合います。

 トーク開始早々、興味深い事実が明らかになりました。
 なんと幹事さん、パチプロだったのです。

 今回もまた、ドラゴンボールの話題は、出ましたよ。
 一人の方が、「あと1枚で、ドラゴンボールZのDVDが全巻揃う」などと言ったのが、きっかけでした。
 そういえば、去年のラスボス二次会の際も、彼の、「今、ドラゴンボールのDVDを集めている」という一言が、みんなを、DBワールドに引き込んだのでした。めんどくさかったので、その日の日記には、そのことを、書かなかったまでなのです。

 ちなみに、もちろん私、このたびも、大はしゃぎで、ドラゴンボール話に花を咲かせましたよ。

 ドラゴンボールDVDの彼、飲み会の途中、

汚い話で申し訳ないけど、セックスがしたい

 なんて、大胆な発言もしていました。
 そう言った後で、みんなから、喝采を浴びていましたよ。
 え、あ、いや、私は決して、喝采など送ってはいませんことよ。

 時は流れ、鍋の中身が寂しくなったころ、ご飯が登場しました。
 これを鍋に入れ、雑炊を作り上げて食い、鍋物語を完結させるのです。

 でき上がった雑炊を、それぞれの、鍋用の取り皿に盛り分けて、食べる皆さん。
 美味しいですね。ほとんど無味ってぐらい薄味だけど、美味しいですね。
 しかし、参加者の一人(ラスボス会社の忘年会に、不参加だった方)は、この雑炊に、違和感を感じてしまっている様子。

 なんでも、「甘い」というのです。

 彼、当初は、この不思議な事態に、首をかしげるばかりでしたが、やがて、原因を突き止めていました。

 彼が、雑炊を盛った小皿、鍋用の取り皿ではなかったんです。
 デザートのコーヒーゼリーが入っていた、小皿だったんです。

 9時ごろには、店を去ります。とりあえずこれで、一次会はお開きです。この段階で、さっき、コーヒーゼリー味の雑炊を食べていた方が、離脱。残りの5人でもって、二次会へと向かいます。

 二次会の場は、やはり駅前にある、別の飲み屋。事前の予約はなしで、いきなり店に入りました。店内奥に案内されたらば、またしても、全員で、1つのテーブルを囲みます。
 席に着いたら、早速、酒と雑談。今度は、ゲームの話なんかも、飛び出しました。
 皆さんと、ドラクエVやらFFYやらの話ができて、私は大満足。本当に私、こういう話題とか、ドラゴンボールの話題とかが出た時だけは、やたらに口数が多いんですよ。
 どういう畑に住まう人なのか、丸分かりですな。

 宴も、もうすぐ終了という雰囲気。私の左隣に座っていた、ドラゴンボールDVDの彼が、私に、自分の酒をプレゼントしてくれました。ほとんど量の減っていない、中ジョッキ入りのマンゴーサワーです。
 彼、あんまりお酒が強くないみたいなんです。だから私に、自身では飲み切れないお酒を、進呈してきたのです。
 私、丸儲けですね。

 彼からのお酒を飲み干したら、今度は、彼の向かいの席の人物から、酒をいただきます。
 やはり、ほとんど量の減っていない、中ジョッキのマンゴーサワー。
 今回は、向こうからプレゼントしてくれたわけじゃありません。一向に減らないジョッキの中身を見て、私から、申し出たのです。
 「もう飲まないの? ちょーだい」と。
 その人もまた、あまりお酒に打たれ強くなかったのでしょう。渡りに船とばかりに了承し、快く、ジョッキを差し出してくれました。 それをグイグイと飲み、私は、タダ酒の美味さを、しっかりと噛み締めました。

 10時過ぎには、二次会も終了。三次会は、なし。これにて、解散となりました。
 皆さんと別れた後、私、電話をかけ、そして、駅前に留まります。
 そうなのです。今回もまた、あの人の家に、泊めてもらうことになっているのです。

 十数分後、清水さんが到着。私は、彼の車に乗り込みます。

 晩ご飯がまだだという清水さん、ファミレスに、行きたがります。
 私は、すでに、鍋やら何やらいろいろ食っているので、お腹は一杯なのですが、ここは、彼に従います。腹が膨れているのなら、食べずに、飲み物だけ飲んでいればいい。ただそれだけの話ですからね。

 ファミレスに着いたら清水さん、今日は、自分がご馳走すると言い始めます。

 おっと。これは大変。事情が変わったぞ。こうなってくると、食わねば損だ。
 結局私、すでに満腹だというのに、ピザを2枚も注文。完食してしまいました。
 ごちそうさまでした、清水さん!

 それから、清水さんの家へ。
 寝るまでのしばらくの間、彼と缶チューハイなど飲み、語らいます。

 最初は私、ただ座布団の上に座って、喋っていたのですが、途中からは、足を、コタツにインさせてもらいました。
 清水さんの入っているコタツが、実にあったかそうだったので、私も、入れてもらうことにしたのです。

 しかし、いざ入ってみて、ちょっとビックリ。
 だって、このコタツ、電源が入っていないのです。

 清水さんにツッコミを入れたら、彼、「電源を入れなくても、結構あったかいんだよ」と、真顔で、カッコ良く語ります。

 なるほど。それは知らなかった。いいことを学ばせてもらいましたぞ。

 だけど清水さん、素直に電源を入れたほうが、もっともっと、あったかいと思うよ。


2007年2月9日(金)

 朝。清水さんの出勤ついでに、車で、駅まで送ってもらいました。ちょうど、前回、彼の家に泊まった時と同じように。

 昨晩、寝つくのに時間がかかってしまったせいか、今日の私は、ちょっと疲れ気味。電車に乗って自宅に帰ってからも、なかなか、本調子には戻りません。

 でも、心配は無用。
 こんなこともあろうかと、私、今日も、バイトはお休みにしてあるのです。予め、佐藤さんに、2日連続での代打出勤を、お願いしてあるのです。

 まさに、「備えあれば憂いなし」ですね。
 おかげで私、安心して、今日一日を、おねんねして過ごすことができました。


2007年2月10日(

 精肉作業場での、私と古谷チーフの会話。

 チーフ:「後藤田さんが、今度は、明治のチョコレートを沢山買ってるらしいんだよ」
 私:「へえ。なんでですかね?」
 チーフ:「何ていったかな。……サワジリエリカ? とかって人、知ってる?」
 私:「沢尻エリカですか。名前だけは聞いたことあります。顔はよく分かんないですけど」
 チーフ:「俺もその人知らないんだけど、なんか、明治製菓のチョコレートを10枚だか買うと、その人のDVDがもらえるんだって。後藤田さんは、それを狙ってるらしいのさ
 私:「そうなんですか。俺、最近の人はほとんど知らないんで、全然分からないですね〜。せいぜい知ってるのは、竹下景子ぐらいまでなんで
 チーフ:「それはまた、ずいぶんと古いなあ(笑)」
 私:「いや。もちろんそれは冗談ですよ(笑) 本当のことを言えば、酒井法子くらいまでは、余裕で知ってます
 チーフ:「本当のことを言っても、酒井法子までなのかよ(笑)


2007年2月11日(

 バックルームで鉢合わせた野沢さんから、さわやかに、尋ねられました。

 野沢さん:「治った?」
 私:「え。何がですか?」
 野沢さん:「
 私:「………。いえ。まだちょっと、調子が悪いですねえ
 野沢さん:「そうか。やっぱりね


2007年2月12日(

 今日は、バイトはお休み。時間はタップリ。溜まっている日記を、頑張って片づけてしまおうと、胸に誓いました。

 けれども、なあに、一日は長い。まずは、ちょっとゲームでもして、英気を養うことに。

 プレイしたのは、PCゲーム、『信長の野望 烈風伝』。このゲームをやるのは、ずいぶん久しぶりです。
 シナリオは、1560年、大名は、長宗我部元親を選択。自分の心の中に、「リロード禁止」というルールを設け、プレイ開始。鬼若子さんになり切って、私、周辺諸国を平定していきます。

 いやあ、楽しかったですよ。時が経つのも、忘れてしまうほどでした。

 なにしろ、気がついたら、一日が終わってましたからね。


2007年2月13日(火)

 自分のバイト先のスーパーに、お酒を買いに行きました。

 パン売り場にて、後藤田チーフと出会い、彼と、ちょいとお喋り。

 彼、ライダーカード第2記録のバインダー、購入したそうです。
 これで事実上、後藤田チーフも、第2記録をコンプリート。第2ステージ、クリアですな。

 明治製菓のチョコレートも、もう、必要な枚数だけ、買ってしまったそうです。
 沢尻エリカのDVDをゲットできることは、すでに、確定しているとのことです。

 明日は、リア・ディゾンのCDの発売日。仕事帰りに、買う予定だそうです。
 そう言って彼、鼻の下を伸ばし、嬉しそうにしていました。

 うーむ。やりおるな。
 なかなかに、優れたバイタリティーの持ち主じゃわい。


2007年2月14日(水)

 今月25日の昼間に、ウチの店、店頭販売を実施することになりました。
 店頭に売り場を設置し、そこで、いくつかの商品を販売することになったのです。
 3日前のチーフミーティングで、そのように決まったらしいです。

 その売り場の担当職員、いわゆる店頭販売員を、なぜか、私がやることになってしまいました。

 私、副店長から、指名されてしまったのです。
 お願いされたわけじゃありません。いきなり、決定事項として、突きつけられたのです。

 閉店業務終了後の休憩室で、副店長に詳細を尋ねてみたらば、
「店頭コーナーの、鮮魚と精肉とグロサリーの売り場、全部、お前に任せるから
 などということまで、言われてしまいました。

 これはまた、唐突かつ横暴な。

 けれども、この大抜擢、嬉しいことには違いありません。我が身に余る光栄に、小躍りしてしまいます。
「ありがとうございます。是非是非、やらせていただきます」
 と、私、グヘグヘ顔で、即答してしまいましたよ。

 しかし、ちょっと待ってくれい。
 突然、お前に一任するって言われたって、私、そんなこと、今まで一度もやったことがねえのです。やり方なんて、なんにも知らねえのです。
 これでは、できるわけがねえずらよ。

 でもまあ、それでも、やってみるしかないでしょう。事前の情報収集とアドリブを駆使して、自力で頑張ってみるしかないでしょう。
 もともとウチのスーパーは、仕事をさせながら仕事を覚えさせていくタイプの会社ですからね。アルバイト用の通常業務のマニュアルも、一切存在しないような会社ですからね。

 それにしたって、ろくに何も教えずに、バイトを、いきなり現場で独り立ちさせるっていうのは、ちょっと酷すぎる話だとは思いますけどね。

 ところで、今日は、バレンタインデーですね。
 それに関連してかどうかは分かりませんが、村井(兄)さんが、プレゼントをくれました。
 鮮魚部門の商品である、やたらにデカい天然ワカメを、くれたのです。

 ありがとうございます、村井さん。
 大丈夫ですよ。ご心配には及びません。
 惚れたりしませんってば。


2007年2月15日(木)

 古谷チーフと、『銭形平次』について話し合いました。
 もちろん、仕事中に。

 私が、
「俺が小学生くらいのころは、北大路欣也版のやつが、よくやってましたよ」
 と言ったら、チーフ、
「ああ。あのニセモノね
 と、返してきました。

 ふふっ。そういう類の返答をしてくるだろうとは思っていましたよ。
 やはり、偉大ですな。
 大川橋蔵は。


2007年2月16日(金)

 ちょっと話はさかのぼって、先月の31日のことです。

 古谷チーフに、告げました。
 4月一杯で、アルバイトを辞める旨を、告げました。

 前々から、「入社は秋からだけど、春には辞める」とは言ってあったのですが、具体的な日付までは、まだ教えていなかったのです。というより、私自身、いつ辞めるのか、長らく決めかねていたのです。
 それを、とうとう、告げたというわけなんです。答えを、出したというわけなんです。

 チーフは、特に驚くこともなく、すんなり納得してくれました。
 そりゃそうです。前述の通り、辞めるおおよその時期は、ずいぶん前から伝えてありましたからね。

 3月一杯で辞めるほうが、切れがいいとは思っていたんですが、考えた末、4月一杯までにしました。
 バイトを辞めてから、株式会社ラスボスに入社するまでの間が、半年というのは、さすがに長すぎると思ったので。就職までの空白期間があんまり長いと、廃人になってしまうリスクを、高めることになりますからね。
 それに、少し余分にお金を稼いでおきたい、というのもあるのです。ライダーカードという、当初の予定外の出費の、穴埋めのために。

 4月一杯でバイトを辞めてしまうとなると、不安なのは、日記のネタがなくなるんじゃないかってことですね。
 けれども、心配はいらないっす。
 バイトを辞めた後も、元職場には、ちょくちょく、行くつもりなので。ライダーチップスや、いろいろなものを買うために、そして、ネタ作りのために、顔を出すつもりなので。
 それを抜きにしても、「回想ネタに走る」という技だって、あるわけですしね。

 だからね、だから、お願いですから、私がバイトを辞めた後も、この日記、飽きずに、読んでやってくださいね。
 どうか、見捨てないでくださいね。


2007年2月17日(

 今年に入って初めて、学校へ行きました。

 ゼミのことなどは、もうどうでもいいんです。
 卒業式が行われるのはいつなのかとか、果たして本当に私は卒業できるのかとか、そういうことを確認しに行ったんです。

 しかし、残念ながら、無駄骨に終わってしまいました。

 土曜日の夕方だったせいか、学校、閉まっていたのです。


2007年2月18日(

 また、やってしまいました。
 徹夜明けに、そのまま、出勤してしまいました。

 仕事が終わったのは、夕方。
 店を立ち去る直前、野沢さんとバッタリ。彼と少し、話をしました。

 私:「ここのところ、毎日出勤してませんか?」
 野沢さん:「いや、昨日は休みだったよ。たまたま休みが重なったせいで、そう感じるだけじゃねえの? 昨日、出勤だった?」
 私:「いえ。休みでした」
 野沢さん:「ほら、やっぱり。休みの日が、おんなじだっただけなんだよ。良かったね。これからも、ずっと休みが一緒で、出勤のたびに顔を合わすかもしれないよ?
 私:「……それは、非常に嫌な展開じゃないですか」
 野沢さん:「何が、『非常に嫌な展開』だよ(笑) 失礼だな」


2007年2月19日(月)

 閉店業務を終え、着替えていたら、副店長が話しかけてきました。

 副店長:「お前がアマゾンで注文しちゃったせいで、第1記録に比べて、第2記録の売り上げがイマイチらしいんだよ」
 私:「でも、2箱も買いましたよ。普通の人からすれば、2箱も買ってれば、十分すごいじゃないですか
 副店長:「そうだよ(笑) もう、気がふれてるよ


2007年2月20日(火)

 特にストレスが溜まっているわけでもないのに、ストレス解消のため、『太閤立志伝X』をプレイしました。

 上泉信綱を主人公に据え、人斬りプレイに、いそしみました。

 そんな、一日でした。


2007年2月21日(水)

 店内放送での、副店長の発言。

「お客様、ホッケはいかがですか? 本日、ホッケが大変お安くなっておりますよ。精肉・古谷チーフもオススメの、ホッケ。お買い得でございますよ」

 なるほど。古谷チーフが是非にと勧める、ホッケですか。

 しかし副店長、古谷チーフは、魚が食えないはずでは?


2007年2月22日(木)

 25日に予定されている店頭販売に、朝だけですが、村井(兄)さんも参加することになりました。
 本人が、そう言っていました。

 彼、飯間チーフに、
「一人でやらせたら、樫木が大変だろ。手伝えよ
 と、胸ぐらをつかまれたのだそうです。

 飯間チーフ、ありがとうございます。私に、そこまで気をつかっていただけるとは。
 しかし、もう少し、村井さんにも、気をつかってあげたほうがいいような気がします。
 これでは彼が、あまりにかわいそうですよ。

 何が一番かわいそうって、本来ならば村井さん、25日は、休日のはずだったってことです。


2007年2月23日(金)

 朗報です。
 村井(弟)さん、この3月で大学を卒業できることが、ほぼ確定したそうです。

 おめでとう、おめでとう。
 努力の賜物か、土下座の賜物かは分からないけれど、とにかく、良かった。

 ところで、オイラのほうは、どうなんだろう?
 本当に、卒業できるんでしょうかねえ?


2007年2月24日(

 来月の10日付けで、鮮魚の大沢さんが、他店舗に異動するそうです。

 代わりの人は、ちゃんと、やってくるそうです。

 良かった。とうとうウチの店の鮮魚部門、社員1人体制になってしまうのかと、思ってしまいましたよ。

 最近、古谷チーフが、やたらに咳き込んでいます。原因は、花粉症だそうです。

 そんなチーフが、今日、こんなことを言っていました。

「でも店長がね、それは花粉症のせいじゃないって言うんだよ。『それは、豚インフルエンザウイルスのせいだ』って。ヒドいと思わない?」

 ヒドい。ヒドすぎる。

 古谷チーフの名誉のためにいっておきますが、彼の顔は、全く、豚になんか似ていません。
 ええ、似ていませんとも。

 あくまでも、「顔は」ね。


2007年2月25日(

 本日は、待ちに待った、店頭販売当日。販売員として、働かせていただきました。

 こういうことするのって、初めてだったんですが、いやあ、実感しましたよ。物を売るのって、楽しいですねえ。

 私が出勤したのは、朝の9時でした。村井(兄)さんも、ほぼ同時刻に登場。まずは、私と彼と、それから、青果の秋田チーフの3人で、店頭に売り場を作ります。
 売り場といっても、長机等を並べ、その上に商品を置くだけの、簡素なものなんですけどね。

 店頭で販売される商品は、以下の通り。
 青果部門から、玉ねぎ・ニンジンなど。鮮魚部門から、ゴマサバ・サンマ・ホッキ貝・生のり。精肉部門から、豚の角煮(2種類)。グロサリー部門から、ペットボトル入りの天然水。

 一直線に並ぶこれらの商品のうち、青果の商品を、青果のパートさん(1名)が、残り3部門の商品を、私と村井(兄)さんが、それぞれ売りさばきます。

 ちなみに私、これら、店頭に並ぶ商品の顔ぶれ、今日になって、初めて知りました、はい。

 9時台後半に、売り場は完成。秋田チーフは、この段階で、店内での仕事に戻ります。
 「店頭は頼んだぞ」という気持ちを込めてか、去り際に彼、私と村井さんに、ホットな缶コーヒーをおごってくれました。やったー。ありがとうございます。

 私と村井さんは、缶コーヒーをすすりながら、しばらくお喋り。このチャンスに私、店頭販売の基礎を、大まかな仕事の流れを、彼に尋ね、教わっておきます。

 さて、青果担当のパートさんも配置について、迎えました、開店時間の午前10時。
 普段は存在しない、店頭コーナー。その珍しさに惹かれたのか、お客様たちが、パラパラと寄ってきます。そのうちの何割かの方は、気に入った商品を、お買い上げになります。

 とりあえず私は、この時点では、あまり、表舞台に立って、お客様とやり取りをしたりはしません。村井さんを前面に立て、主に、彼のサポートに回ります。そして、そうしながら、彼の仕事ぶりを観察、技術を盗みます

 午前中は、あんまり、お客様はやってきません。開店から、さして時間が経っていませんし、気温も低いですからね。
 店の前の駐車場から、お客様の姿がなくなってしまうなんて時も、ありました。そんな時は、雑談です。私と村井さんとで、雑談です。
 私、村井さんから、いろんなお話を聞きました。「店頭販売は、ここ数年やっていないが、それ以前は、毎月のようにやっていた」という話や、「そのころ店頭販売を任されていたのは、村井兄弟だった」という話、それから、「古谷チーフが、車を買い換えるらしい」という話など、盛り沢山でした。
 ちなみに、古谷チーフが車を買い換える理由は、奥さんに、「お前の車はお菓子臭い。買い換えろ」と、言われたからだそうです。

 正午ごろ、村井(兄)さんは、帰宅。お疲れさまでした。
 予定では、朝だけの出勤だったはずなのに、ご苦労さまです。
 本来なら、今日はお休みのはずだったのに、ご苦労さまです。

 さあ、ここからが、私にとっての本番です。村井さんのぶんまで、頑張らねばなりません。だんだんと、お客様も増えてきますしね。
 大きな声で客寄せをする。お客様と、フレンドリーにお喋りする。商品を袋に詰めて、お客様に渡す。代金を受け取る。お釣りを渡す。そんなお仕事を、せっせと繰り返します。

 午後1時には、開店から店頭にいた、青果の、30過ぎくらいのパートさんも帰宅。入れ替わりで、40過ぎくらいの、新しいパートさんがやってきます。

 それからしばらくの後、店頭コーナーに、古谷チーフが姿を現しました。私のお食事タイムについて、相談しに来たのです。
 その場での協議の結果、私の食事休憩は、午後2時からに決まりました。休憩中の店頭コーナーは、春井さんが担当します。
 ちなみに、お昼ご飯は、古谷チーフが、ご馳走してくれるそうです。お弁当コーナーのお弁当を、買ってくれるそうです。ありがたやありがたや。

 午後2時ごろ、店頭に春井さんが登場。
 待ってました。私は、彼に店番を頼み、お昼ご飯に向かいます。

 更衣室の自分のロッカーの中に入っている、弁当を取り出し、休憩室でもって、食います。心の中で、古谷チーフに感謝を捧げながら。

 30分間の食事休憩の後、私は店頭コーナーに帰還。再び春井さんと、選手交替をします。

 お腹一杯になった私、前にも増して、頑張って客寄せをしちゃいます。
「いらっしゃいませ〜。店頭コーナー、豚の角煮はいかがですか〜。普段でしたら398円の商品が、300円。大変お買い得ですよ〜。いらっしゃいませ〜」
 などというようなことを、ご近所中に響き渡るくらいの大声で、わめき続けました。

 そしたらば、青果の店頭担当のパートさんから、褒められてしまいましたよ。客寄せが、とっても上手だと。
 私が、「こういう仕事をやるのは初めてなんですけどね」と返したら、彼女、とてもそうは見えないと、目玉を丸くしていました。

 と、このことを、ここで確かに、自慢しておきます。

 4時半ごろ、秋田チーフと春井さんが、相次いで店頭に出現。そろそろ店頭販売を終了しようと言ってきました。
 秋田チーフは、早速、青果の店頭コーナーの、撤去作業に着手。一方、春井さんは、「とりあえず、片づけ作業のために、鮮魚とグロサリーの職員を呼んでくる」と、店内へと入っていきます。

 その後、秋田チーフ、青果の佐藤さん、そして、私を絶賛していたパートさんの3人の手により、青果の店頭売り場は解体。彼らが、店頭と店内を何度か往復するうちに、完全に消滅してしまいます。

 私もすぐに、青果チームの後を追いたいところですが、これがなかなか、そう簡単にはいきません。

 春井さんが、帰ってこないのです。

 彼が戻ってくるか、鮮魚かグロサリーの職員がやってくるかするまで、私は、ここを動けません。自力で売り場を片づけ始めることも、春井さんを呼びに行くことも、できません。
 たとえ短時間であっても、お金や、沢山の商品が置かれたままの店頭を、ガラ空きにするわけにはいきませんからね。

 援軍を待つ間、仕方がないので私、それまで通り、店頭販売を続けます。孤軍奮闘です。
 次第に、辺りの景色は闇に包まれ、気温も、ガクッと下がってきます。店頭で足を止めてくれる人も、めっきり減ります。

 寒さに震えながらも、なお仕事を続ける私。かじかむ指のせいで、失敗をしてしまいました。

 ホッキ貝をお求めの、50代くらいの女のお客様。彼女の注文の品を、ビニール袋に詰めようと、貝の入った、海水入りの発泡スチロールの容器の中に、トングを突っ込む私。

 ようやく、1つのホッキ貝をつかみ、持ち上げたところで、私、ツルッとそれを、落っことしてしまったのです。

 ボシャッと、水面に衝撃が走り、水しぶき。お客様に、ひっかかってしまいました。

 お客様は、
「も〜う。お兄ちゃんはヘタなんだよ(笑) アタシが自分でやるよ!」
 と、私からトングをブン取り、自分で、器用にそれを使い、簡単に貝を袋に詰めてしまいます。
 その間中、私はずっと、照れ笑いしながら、平謝りでした。

 そのお客様が去った後も、大きな声で客寄せ。もう、ほとんど人の来ない、暗くて寒い店頭で、半ば声をからしていると、お優しい、天女のようなお客様が、やってきてくださりました。
 彼女、
「車に乗って帰ろうと思ったけど、かわいそうだから、来ちゃった」
 と言い、サンマを4本、お買い上げ。
 嬉しいですね。可愛いですね。惚れちゃいそうですね。

 そのお客様、どう見ても、60代くらいの方だったんですけどね。

 5時20分近くになって、店頭に、秋田チーフがやってきました。いまだに店頭販売をやめていない私が視界に入り、怪訝に思い、様子を見に来たのでしょう。

 ようやく来た、助け舟。私は彼に、「春井さんが、鮮魚とグロサリーの職員を呼びに行ったっきり、一向に戻ってこない」という、哀しき事情を告げました。
 すぐに彼は、店内へ。ほどなくして、まずはグロサリーの渡辺チーフが、店頭に出現。ペットボトル入りの天然水を、片づけ始めます。
 これでやっと、この、寒くてかなわぬ、夜の店頭から逃げられる。私は、渡辺チーフ・古谷チーフ・鮮魚の小糸さんらと共に、店頭コーナーを完全撤去。早足で、店内に戻ります。

 それで、結局春井さんは、自分の使命を、すっかり忘れていたというわけですか。

 まあ、ありがちな話ですな。

 5時半から6時まで、私は、また休憩。休憩室で、のんびりします。

 休憩を終え、精肉作業場に入ったら、春井さんが、本日の店頭販売での、豚の角煮の売り上げを、教えてくれました。私の休憩時間中に、計算していたみたいです。
 売り上げは、1万4900円。
 店側は、良くても1万円に届くか届かないかくらいだろうと予想していたそうなので、この結果は、実にグッドですね。

 と、このことも、ここで確かに、自慢しておきます。

 さあて、休憩明けの私、いつも、日曜の昼間にやっている、加工肉の品出しや、日付チェックなどの業務に取りかかります。作業場の掃除のほうは、6時から出勤してきた佐藤さんに、お任せです。

 古谷チーフも春井さんも、とっくに帰った午後9時ごろ、私のお仕事は、終了。肉屋のことは佐藤さんに託し、家路につきましたとさ。

 ところで、本日の店頭販売の、最高責任者は、副店長でした。
 だから私、彼に、教えを乞おうと思っていたのです。開店前にでも、彼から、店頭販売の何たるかを、教えてもらおうと思っていたのです。

 ところが、いざ、今日出勤してみたら、そうはいきませんでした。
 この程度のことは、事前に確認しておくべきでした。

 副店長、本日はお休みだったのです。


2007年2月26日(月)

 友人たちと、また、飲みました。

 メンバーは、去年の11月20日の飲み会の時と、全く同じ。
 場所については、もはや、語らずとも、分かりきっているでしょう。

 飲み会自体は、全くもって、普通の飲み会でした。
 「武田信玄はゲイだ」という話題が、延々とループする、そんな飲み会でした。

 実に、有意義な時間が、過ごせたと思います。


2007年2月27日(火)

 課題図書を読み始め、読み終えました。

 去年の10月1日の、ラスボス会社の内定式の際に出された、宿題。実をいうと、1つだけでは、ないのです。
 去年の12月31日が提出締め切りのレポートが、1つ。今年の2月28日が締め切りのレポートが、1つ。全部で、2つ出されたのです。

 そのうちの、明日締め切りのほうのレポート。そのタネ本となる課題図書を、読み終えたというわけなんです。

 1つ目の時とは違い、今回は私、スムーズに、宿題を進めていますね。

 なにしろ1つ目の宿題の時は、課題図書を読み終えたのが、締め切り日当日でしたからね。

 ものすごい早さです。


2007年2月28日(水)

 レポートが仕上がりました。

 すぐに、メールに添付し、ラスボス会社へと送信しました。
 夕方の出勤までには、なんとか、間に合いました。

 出来のほうは、まずまず。

 とりあえず、内定取り消しには、ならないでしょう。



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