2007年5月の日記


2007年5月1日(火)

 昨日、私、副店長・古谷チーフ・春井さんの3人から、個人的な連絡先を教えてもらいました。

 副店長とは、ケータイの電話番号交換を行いました。
 私が店についた直後。仕事に入る前に、行いました。
 こちらからお願いするまでもなく、彼のほうから、要求してきました。

 週末アルバイトの件の詳細が定まったら、私の携帯電話に、彼から連絡が入る。
 そういう話に、なっています。

 古谷チーフと春井さんには、私から、おねだりをしました。
 「肉屋として働くのは、もう今日が最後。仕事で会う機会は、ずいぶん減ると思う。連絡を取りたい時に取れないと寂しいから、教えといてくれ」と、携帯電話のメールアドレスを、おねだりしました。

 仕事中に。

 そしたら彼ら、私の期待に、見事に答えてくれました。
 それぞれ、アドレスを紙に書いて、渡してくれたのです。

 もちろん、仕事中に。

 ちなみに、「連絡を取りたい時に取れない」なんて言っている私ですが、実は、春井さんに関しては、ケータイの電話番号ならば、ずいぶん前から知っています。
 要するに、別に、メールアドレスなんぞ知らずとも、彼とは、十分に連絡は取れるっていうことなんです。
 そのこと、すっかり忘れていましたよ。

 でもまあ、いいでしょう。
 メルアドを知っておいても、損はありませんからね。

 さて。一夜明けた今日。私は、古谷チーフと春井さんに、メールを送りました。
 いわゆる、よくあるあれです、「アドレス帳に登録お願いします」という内容のメールです。

 古谷チーフに送ったメールは、無事、届いたのですが、春井さんに送ったメールは、残念ながら、届きませんでした。
 「送信先のメールアドレスが存在しない」と、はね返ってきました。
 何度も紙を見直し、打ち直してみたのですが、それでも、ダメでした。

 ああ。やっぱりなあ。

 実は私、春井さんから紙を渡された時に、直感していたんです。

 彼のメールアドレス、かなり、長かったんですよ。

 それを見たその瞬間に、こう、直感してしまったんです。

 春井さんに、この長さの文字列が、書き写せるはずはない。


2007年5月2日(水)

 店に、お買い物に行きました。

 一昨日までに、いろんな人に別れの挨拶をした私。
 早速、顔を出しちゃっています。

 他に行く所がないのかしら。

 店内で、野沢さんを発見。
 この人にはまだ、部門異動についての挨拶をしていない。そのことを思い出した私は、彼に、話しかけます。

 私は、6月からよろしくお願いしますと言ったのですが、彼は、フライングを求めてきました。

 木曜日は、閉店業務をやる人間がいないから、大変だ。
 だから、明日から働け、と、いうのです。

 私は当然、無理だとお断りします。
 ニートな笑みを浮かべながら、「6月からという話に、もう決まっちゃってるので」と。

 それでもしつこく食い下がってくる野沢さん。
 けれども私は、折れません。
 「店との契約がそうなっちゃってるんで、しょうがない」の、一点張りです。

 ついには野沢さん、わざとらしい、いかにも作ったようなしかめっ面をして、こう、言い始めます。

 「ちくしょう。覚えてろよ。6月から、イジメてやるからな。渡辺さんが、『やりすぎっすよ。もう勘弁してやりましょうよ』って言うぐらい、徹底的にイジメてやるからな。

 怖っ。

 冗談だと分かっていても、怖いです。

 あの渡辺チーフが止めに入るくらい」という、いやに具体的な例えが、とっても怖いです。


2007年5月3日(

 午後4時過ぎ、副店長から、電話がありました。

 「今日はヒマか」という問いに、私が、「ヒマだ」と答えると、彼、本題を切り出してきました。
 「野沢さんいわく、木曜日は、人が足りなくて、キツいらしい。だからやっぱり、できれば、グロサリー部門の一員として、今日から働き始めてくれ」という、お話でした。

 おい!

 ……でもまあ、いいか。
 私としては、働き始めるのは、5月からでも6月からでも、どちらでも構わないんです。
 旅に出る時にさえ休ませてもらえれば、それでいいんです。

 副店長からの依頼にイエスと答えた私、電話での彼の指示に従い、夜の8時過ぎ、印鑑やら、3日前に持ち帰ったばかりのユニフォームやらを持って、お店に。
 そこで、手続きを行います。部門異動の、手続き。週末アルバイトになる、手続きを。

 休憩室で副店長、印鑑を押すべき紙を私に差し出し、これからのことについて、簡潔に説明してくれます。

 それによれば、私の出勤日は、毎週の、木・土・日曜日。以前からの約束通り、事前に申請すれば、好きな時にお休みをもらうことが可能。5月中は、事実上、単なる閉店業務要員なので、午後9時出勤でOK。6月に入って、安田さんがいなくなったころ、午後6時出勤に切り替える。

 と、まあ、こんな感じ。

 働くのは、週2日という話だったはずなのですが、なぜだか、1日増えていますね。

 けれども別に、気にしない。
 旅に出る時さえ休めれば、それでいいんですから。

 捺印を完了した私。9時からは、早速お仕事です。

 ユニフォームに着替えた後、バックルームにいる、今日からの我が上司・野沢さんのもとへ。

「なんか、結局、今日から働くことになっちゃいました(笑)」

 なんて、アホっぽく言ったら、すかさず野沢さん、私の頭をつかみ、何も言わずに、ヘッドロック

 私が、脱出しようともがいていることなど、意にも介さず、そのままの状態で、語り出します。Vシネマに出てくる、ヤクザのような口調で。

いいか。昨日までは、お客様だ。だけど、今日からは、違うからな。覚悟しとけよ

 おお。おっかなや。

 どこまでが冗談なのか、よく分からないところが、実におっかないです。

 さて。ともかく、早くも私、今日から、仕事を再開。グロサリー部門のほうで、働き始めてしまいました。

 というわけなので、今月中にやることを予定していた、この日記の登場人物たちの、人気投票。
 実施を、延期することにします。

 ほら。やっぱりこういうのは、切りのいい時にやらんといかんからね。

 実施は、9月ごろに、なるはずです。

 きっと、そうなるはずです。

 そのころには、この日記、実際の日付に追いついていると、いいですね。


2007年5月4日(

 またしても、シヴィライゼーションVを、やってしまいました。

 一日中。

 本当に。
 君って奴は、本当に困った奴だなあ。

 でも、おかげで、助かりました。

 こういう、丸一日に渡って、一つのことしかやっていない日っていうのは、とっても、日記が書きやすいんですよ。
 なにしろ、一つのことしか書かなくて済むんですから。

 いやあ、助かった助かった。

 これからも、この調子で頑張ってくれよ。


2007年5月5日(

 今日もまた、9時に出勤。
 一昨日もそうだったのですが、10時ごろまでは、軽く、グロサリーのお仕事。10時からは、閉店業務。

 閉店業務は、もちろん、今野さんと二人で遂行。
 彼に、職場復帰の理由を解説した後、二人で遂行。

 ついこないだ、カッコ良くグッドバイしたばっかりなのに、こんなにも早く舞い戻ってきて、彼とタッグを組んじゃう私。
 カッコ悪いこと、この上ないですなあ。

 閉店作業の後は、更衣室で着替えながら、今野さんと雑談。
 同じ大学・同じ学部の後輩にあたる彼と、学校についてや就職活動についてなど、語り合います。

 彼が、
「先輩は、どういうとこに就職が決まったんですか?」
 と、尋ねてきたので、私、
「俺? 俺はね、小売関係」
 と、答えてあげました。

 そしたら今野さん、一瞬固まった後、神妙な顔をして、こう言ったんです。

「こーり……。っていうと、ロックアイスとか、そういうのですか?

 狙いもせずに、これだけ高度なボケをかますとは。
 かなりの腕前ですな。

 私、彼の自尊心を傷つけないように、柔らかく、間違いを訂正。それから再び、雑談に。

 楽しく会話していたら、突然、更衣室に、不機嫌顔の渡辺チーフが入ってきました。

「君らさ、仕事甘すぎ

 どうやら、私と今野さん、やるべき作業を、やり忘れていたみたいなんです。
 それもなんと、3つも。

 二人、大急ぎで、それらの仕事に取りかかり、すぐに、片づけます。

 ふう。なかなかだな、我々も。

 二人仲良く、安田さんの後を追うことになる日も、そう遠くないかもしれんぞ。


2007年5月6日(

 当たり前の話ですが、昨日、今野さんに解説した、だけではないんです。

 店長・古谷チーフ・後藤田チーフ・春井さん・佐藤さん・桐島さん・高橋さん、などなど。
 今月の3日から今日にかけて、私、同じ店で働く、いろんな人たちに、説明しまくったのです。

 あまりにも早すぎる帰参の、そのわけを。

 いやあ、なんだか、こっ恥ずかしかったなあ。

 ところで、本日のことです。
 売り場作りのお仕事なんぞをしていたら、通りかかった副店長が、私を見つけるなり、ほほ笑みこぼして、こう、言いました。

出た! オタスケマン!

 知らなかった……。

 いつの間にか私、タイムパトロール隊員になっていたのか。


2007年5月7日(月)

 前々から、試してみたいと思っていたことを、ついに、実行しちゃいました。

 缶チューハイと、アイスボックスを購入。
 アイスボックスの中にチューハイを流し込み、一つの存在とし、味わってみたのです。

 味わいながら私、この、実に画期的な品の、名前を考え続けていました。

 「チュー・アイス・ハイ・ボックス」がいいか、それとも、「アイス・チュー・ボックス・ハイ」がいいか。

 どちらにしても、センス抜群。
 胸の高鳴りを感じながら、ずーっと、迷っていました。

 ちなみに、この、飲み物とも食い物ともつかないもの。
 味のほうは、イマイチでした。

 今後、口にする機会は、もう、ないかもしれません。


2007年5月8日(火)

 精肉アルバイト時代の、佐藤さんの前の、私の相棒。タッキーこと、滝田さん。
 彼に、なんとなく、実に久しぶりに、メールをしてみました。
 「就職が決まって卒業もしたけど、実際に働き始めるのは、秋から」ということや、「最近、精肉部門からグロサリー部門に異動になった」ということなど。近状を報告するメールを、送ってみました。

 すると、彼から、
 「今度会いたいですね」なんていう、返信が。

 嬉しかったですよお。
 私はすぐさま、彼の提案に、賛成の意を表明。今度の土曜日、私のバイト終了後に、一緒に食事をする約束を、取り付けました。
 一昨年の夏に、彼がバイトを辞めて以来ですから、実に2年近くぶり。2年近くぶりに、タッキーと再会することになったわけです。

 いやあ。本当に、嬉しかったです。
 まさか、彼のほうから、誘ってくれるとは。

 だって彼、とにかく、ノリの悪い人だったんですよ。

 彼がバイトを辞める数日前のこと。私、彼を、誘ってみたんです。
引退記念に、今度、打ち上げでもやろうか?」
 って。

 そうしたら彼、照れ照れした顔して、こう、返しおったのです。

「いや、いいですよ。そんな、気をつかってくれなくて。自分は、静かに引退していきたい


2007年5月9日(水)

 お休みであるのにもかかわらず、職場に、出かけました。お買い物に、出かけました。

 売り場にいた、仕事中の野沢さんが、私に、語ってくれました。

 グロサリーのアルバイトの、安田さん。
 6月を待たずして、明日、辞めることになったのだそうです。

 安田さん、今日、突然、申し出てきたそうなのです。

 「今日の出勤を最後に、退職したい」と。

 まあ、彼が、とっとと辞めたくなる気持ちも、分からんではありません。

 だってもう、近日中にクビが飛ぶことが、確定しているのです。

 これ以上ここに踏みとどまるのは、愚策
 早く新しいバイトを見つけて、そっちで頑張るほうが、いいに決まってます。
 ここに残っても、気まずいだけでしょう。

 しかしながら、今日は、副店長がお休み。
 いきなり辞めたいと言われても、手続きができんらしいのです。

 野沢さんは、彼にそんな事情を説明し、「明日まで待て。で、明日の出勤を最後に、退職してくれ」と。

 安田さんは首を縦に振り、明日をもっての退職が、事実上、決定。

 ……と、いう、お話でした。

 そうですか。結局、そうなりましたか。
 となると、私の今後も、どうなるのか分かったもんじゃないですな。

 今現在の、夜9時出勤。いつまで、この、超社長出勤が、続けられるのやら。

 続いて野沢さんは、話題を変え、私に、頼みごとをしてきました。

 「明日は、忙しい日なのだ。だから、いつもより、1時間早く出勤してくれないか」と。

 ヒマな人間である私には、断る理由など、ありません。

 不本意ながらも、バッチリ、承諾してしまいました。

 おお。なんということだ。

 用もないのに、買い物になんか行くんじゃなかったぜ。


2007年5月10日(木)

 昨日、お願いされた通りに、今日は、午後8時に出勤。だいぶ、コキ使われました。

 10時過ぎの、売り場。
 帰る間際の安田さん。本日が最終出勤となる安田さんが、副店長に、挨拶をしていました。最後の挨拶。別れの挨拶を。

 二人とも、終始、さわやかな笑顔でした。

 なんだか少し、ホッとしました。

 さようならです、安田さん。お達者で!

 閉店作業中。通りかかった渡辺チーフに、尋ねてみました。
 「明日からは、安田さんはいない。ということは、今後オイラは、もっと早く出勤すべきなんじゃあ?」と、余計なことを聞いてみました。

 チーフは、「そうだな。じゃあ、とりあえず今後しばらくは、夜の7時に出社してくれ」と、お返事。

 へへっ。本当に本当に、余計なことを聞いちまったぜ。

 だけれども、こういう、ちょっとした貸しを作った時っていうのは、チャンスでもあるんです。

 私、7時出勤を承知するついでに、彼に、頼んじゃいました。

 「今月の26日と27日、旅行に行くので、お休みをください」と。

 チーフは、嫌な顔一つせず、了承してくださいました。
 まあ、前々から、休みは自由に取れるという、そういう約束になっていますからね。

 しかし、それにしたって、私、すごいですな。凡人とは、デキが違います。
 転んでもタダでは起きない。肉を切らせて骨を断つ。災い転じて福となす。

 たかだかお休みを取るだけだというのに、こんな小細工を弄するとは、どれだけ気が小さいんだ。


2007年5月11日(金)

 日記のネタが、なさそうだったので、夜、自分の働く店に、お買い物に行きました。

 お買い物のほうは、無事、済ませることができたのですが、ネタのほうは、結局、見つかりませんでした。

 以上が、本日の日記の、ネタです。

 ごめんなさい。


2007年5月12日(

 夜7時に出勤した私は、11時15分ごろまで、お仕事。
 本当ならば、10時台後半には終わっているはずだったのですが、予想外の残業により、こんな時間になってしまったのです。

 仕事の後は、マッキーとの、お約束。久しぶりに、会います。

 待ち合わせの時間は、11時

 もうすでに、間に合っていません。

 私は、すぐに彼に電話を入れ、お詫び。切ると同時に、彼のもとへ直行しました。

 幸い、待ち合わせ場所がすぐ近くだったので、それ以上は、ほとんど遅れずに済みました。

 ちなみに、その待ち合わせ場所っていうのは、ウチのスーパーの目と鼻の先にある、ライバル店の、駐輪場ね。

 マッキーとの再会を果たした私は、もう一度、深くお詫び。
 全く怒る様子を見せない彼と二人、早速、2台の自転車で、晩飯食い食い会場へと向かいます。

 要するに、ファミレスへ向かったのです。

 ファミレスへの移動中と、到着後。さらには食事中。私は彼に、いろんな話をして差し上げました。
 村井(弟)さんが、グロサリーに異動させられたこと。清水組のこと。春井さんが、もうすぐ他店に異動してしまうということ。

 バイトを辞めてからというもの、一度も、ウチのスーパーに顔を出したことがないというタッキー。興味深げに、私の話に耳を傾けてくれました。

 食事中、春井さんのおバカなエピソードの数々を話してあげた時には、こんな感想を漏らしていました。

「春井さんって、そこまでダメな人だったんですか。俺、そういうこと、知る前に辞められて良かったわ。自分、春井さんのこと、尊敬してたんで

 冗談ではなく、本心から言っているようでした。

 なんだか私、自分が恥ずかしくなりました。

 私と彼、職場以外の場所で会うのは初めて。最初は私も、どうなることかと、ちょっと不安だったのですが、意外と彼は、ノリノリ。自分の話も、沢山聞かせてくれました。
 就職活動では、金融関係の会社を狙い、現在、1社から内定をもらっているということ。引っ越し先の街では、サッカー場の審判のアルバイトをしていたということ。

 ちなみに、引っ越し先の街とは、彼の通う大学が、所在している街のことです。
 彼、通学時間短縮のため、学校のそばに引っ越し、独り暮らしをしていたのです。その引っ越しを理由に、ウチのスーパーを、辞めていったのです。
 もっとも、4年生となり、単位取得もほぼ済んだ今では、アパートは引き払い、自宅のほうへ戻っているそうですが。

 盛り上がってきた、二人の会話。私は、タッキーを誘い、ファミレスを出て、近くのカラオケ店に入りました。深夜2時前のことでした。ここのファミレスは、2時には、閉店してしまいますからね。

 せっかくカラオケに来た我々ですが、最後まで、ただの1曲も、歌いはしませんでした。
 ずっと、喋くり合っていたのです。

 店を出たのは、朝の5時近く。
 それから二人、それぞれの家路につきました。

 別れるちょっと前、タッキーが、またも、嬉しいことを言ってくれました。
「また、会いましょうよ」
 と、言ってくれました。

 願ってもないことだと了承する私に、彼は、続けました。

春井さんの異動が決まったら、会いましょう(笑)

 それって一体、どんなタイミングだよ。


2007年5月13日(

 実は私、今月の9日から、メガネをかけて、仕事をしています。

 グロサリー部門が担当する売り場は、広いのです。だから、遠くまで見渡せる、そんな視力が必要なのです。
 そう判断し、メガネをかけて働くことに、したのです。

 肉屋時代には、仕事中にメガネをかけたことは、ただの一度もありませんでした。
 単純に、その必要がなかったから。というだけの話ではありません。
 仕事以外の場では、かけていることが多いにもかかわらず、敢えて、かけなかったのです。

 だって、肉屋のバイトは、水仕事が多いのです。水がバシャバシャはねてくるので、メガネをかけるわけにはいかんということは、明らかだったのです。

 まあ、ともかく、メガネっ子として働くようになった、私。
 そんな私のメガネ姿を、今日、初めて見た野沢さん。
 彼、怪訝な顔をして、私に尋ねてきました。

 野沢さん:「樫木君は、目も悪いの?」
 私:「『頭だけじゃなくて』って言うんでしょ?(笑)」
 野沢さん:「いやあ。バレちゃってましたか(笑)

 野沢さん。もはや、あなたが考えていることなんぞ、全てお見通しなのじゃよ。

 ところで本日、渡辺チーフに、とうとう、言われてしまいました。
 「次からは、6時に出勤してきてくれ」と。

 ああ。俺の楽園が。俺の楽園が、崩れていくぅ。


2007年5月14日(月)

 グロサリー部門のバイトとして働き始めて、まだ、10日程度ですが、ここでの仕事、結構、キツいですね。

 何がキツいって、長いことこの店で働いているためか、「初心者なのに、ベテラン扱いされてしまう」ということ。
 グロサリーの仕事に関しては、私、基本も分かってはいないのに、渡辺チーフや野沢さんには、分かっているものとして扱われ、仕事を任されてしまうのです。
 そのたびに私、彼らにやり方を質問。お小言をいただいてしまうのです。
 まあ、置いてもらえるだけでありがたいことではありますし、怒られたら怒られたで、怒られながら覚えていけばいいだけの話なので、それは別に構わないのですが、やっぱり少し、理不尽には感じてしまいますね。

 さらにもう一つ、キツいのが、「ライダーカード第3記録が発売されるのが、私がバイトを辞めた後だ」ということです。

 私が、今、ライダーカードを、今、ライダーカードを集めてさえいれば、全然、状況は違うはずなのです。

 もし今現在、私がカードを収集中であるならば、渡辺チーフや野沢さんにとって、私は、手足たるバイトであると同時に、大事なお客様でもある、ということになるのです。

 そこに、パワーゲームが生まれる余地があるのですよ。

 そう。大人の駆け引きがね。

 なのに。なのに。ライダーカードの発売は、10月から。
 なんとも、口惜しい話。

 要するに、です。

 ここで私がいいたいのは、「ライダーカードは偉大だ」ということなんですよ。

 早い話が、「仮面ライダーは正義の味方だ」ってことです。


2007年5月15日(火)

 単身、電器屋に乗り込み、デジタルカメラというやつを買ってきました。
 そうです。今度からの旅で、使うやつです。
 全部で、2万3000円以上もしました。

 しかし、私が負担したのは、そのうちわずか、1万円にとどまります。

 実は、数日前、私、両親に、尋ねたのです。
 「この家に、デジカメは必要かい?」と。

 父と母は、「あったら嬉しい。いずれ、買おうと思っている」と、返答。

 すかさず、私。旅に行く時にさえ、デジカメがあればいい、私。持ちかけました。
 「それじゃあ、近日中に買おう。俺が1万円出すからさ。その代わり、旅に行く際には、ちょっと借りるよ」と。

 これは、双方にとって、悪くない話ですからね。無事に、交渉は成立
 そして、今日のお買い物となったわけなんです。

 こういう話を聞いて、「親のデジカメのために、少しお金を出してあげるなんて、エラいわね」と思う人。
 「いい大人なんだし、そもそも、居候させてもらってる身分なんだから、デジカメくらい、全額払って買ってやれよ」と思う人。
 ふた通りいるでしょうね。

 ちなみに私は、後者のほうです。


2007年5月16日(水)

 今日からは私、グロサリー部門の、職員です。

 ええ。今日からなんです。正式には、今日付けで、グロサリー部門に、異動なんです。

 なんか、この、私のバイトする会社では、他部門への異動は、毎月の16日付けでしか、できない決まりになっているらしいのです。
 それで、今日付けでの、異動なんです。

 ということは、つまり、昨日までは私、精肉部門に所属していたということ。

 この会社では、各部門の職員の人件費は、各部門から、捻出されることになっているそうです。

 要するに、今月の前半、私は、精肉部門からお給料をもらいながら、グロサリー部門のお仕事をしていたということになります。

 そういえば先月末、お肉屋さんは、夜のバイトを2人しか出勤させられないほど、人件費にシビアになっていましたね。

 そんなお肉屋さんに、この仕打ち。
 店側の指示に従っただけとはいえ、この仕打ち。

 恩を仇で返すとは、こういうことをいうのか!


2007年5月17日(木)

 いよいよ今日からは、6時出勤。気力全開、バリバリ働きます。

 精肉作業場の前を通りかかったら、古谷チーフに、声をかけられました。

「なんかさぁ、思うんだけどさぁ、グロサリーに異動してからも、フルパワーで働いてるみたいじゃないかぁ……。あのまま、肉屋で働き続けても、良かったんじゃないか?

 う。

 そうだな。言われてみれば、そんな気もするなあ。


2007年5月18日(金)

 史跡巡りの旅の、諸戦。千葉県君津市にある、久留里城址に、行ってきました。
 まずは、手ごろな所から攻めていこうと思い、割と近場にある、このお城に、行くことにしたのです。

 近場とはいっても、まあ、あれです。
 自転車で、2時間近く、かかったんですけどね。
 何度か、道にも迷いましたし。

 久留里城は、戦国大名・里見義尭の本拠地だったことで、知られています。
 そう。先月、私が、『信長の野望 天翔記』において、プレイヤー大名として選んだ、あの、里見義尭です。
 万人が認める、ゲームの世界のヒーロー。そのゆかりの地を訪ねられるなんて、嬉しきこと、この上ないですな。

 お城に到着した私は、数々の遺構や、城郭資料館、模擬天守閣などを見学。
 もちろん、こないだ仕入れたデジカメで、いろんなものをパシャパシャと撮りまくることも、忘れませんでした。
 撮影不許可とされているもの以外のめぼしいものは、大概、カメラに収めました。



 この、何が写ってるんだかよく分からない、我ながらヘタクソな写真。これは、模擬天守閣の隣にある、天守台跡。
 この場所に、本物の天守閣が、建っていたというわけなんです。

 隣には、なかなか立派な模擬天守がそびえているというのに、敢えて、一般ウケしないであろう、隣にある地味な土台を、ホームページに載せる。
 そんな、自分のヒネクレ加減が、大好きです。

 ちなみに、里見氏が治めていた時代には、この城には、天守閣などというものは、存在しませんでした。
 天守閣が造られたのは、江戸時代。黒田氏が、入城してからのことなんですよ。

 まあ、つまりは、この写真の天守台は、里見氏とは、全然、縁もゆかりもない代物だってことです。

 里見氏関連の遺跡目当てで、久留里城に行ったはずなのに、里見時代の遺構も、ちゃんとカメラに収めたのに、わざと、里見氏とは関係のない写真を、ホームページに載せる。

 そんな、自分のヒネクレ加減が、大好きです。

 そうそう。
 帰り。尾根上の散策路沿いに、城山を下っている途中、リスさんに出会いました。

 さすがは山城。こんな、珍しい生き物にお目にかかれるなんて。
 当然、迷わず私、カメラを構えましたとも。

 シャッターを押す前に、逃げられちゃったんですけどね。


2007年5月19日(

 当サイトの総アクセス数が、本日めでたく、7000にまで到達いたしました。
 これもひとえに、皆様のおかげ。
 ありがとうございます。ありがとうございます。三日月の、丸くなるまで、ありがとうございます。

 それにしても、とうとう、7000ヒット。
 7000ですよ、7000。

 そう。トランザム7000です。


2007年5月20日(

 売り場で仕事をしていたら、野沢さんが、いぶかしげな顔をして、私に問うてきました。

 野沢さん:「樫木君は、目も悪いの?
 私:「そのネタは、こないだやったじゃないですか(笑)」
 野沢さん:「あ。そうでした! こないだやったばっかりでした(笑)

 やるなあ、野沢さん。

 さすがの私も、そういう攻め方をしてくるとは、予想できなかったぜ。


2007年5月21日(月)

 実に久々に、Vシネマを鑑賞しました。

 面白かったのですが、何か少し、物足りない気がしました。

 たぶん、VシネマはVシネマでも、ヤクザもののVシネマでは、なかったからでしょう。


2007年5月22日(火)

 今日は、日記を書きまくりました。
 なんか気が向いたので、書きまくりました。

 まあ、日記といっても、ひと月ほど前の、日記なんですけどね。


2007年5月23日(水)

 今日は、日帰りで、千葉県市川市にある、国府台古戦場に行ってきました。

 まずは電車に乗って、国府台駅まで。そこから徒歩で、テクテクと、向かいます。

 江戸川の河畔。国府台の古戦場は、その一角が、里見公園という、イカした名前の公園となっています。
 今回の目的地は、この場所。
 私が着いたのは、午後3時台。近隣住民の憩いの場として、そこそこ、賑わっている様子でした。

 ここ、国府台古戦場は、1538年と1564年の2度に渡り、里見氏を初めとする房総諸将と、北条氏とが激突した場所です。

 里見義尭が、小弓公方・足利義明を担いで戦った第一次合戦では、義明公のバカっぷりのせいもあって、我らが里見軍は、撤退することになってしまいました。
 残念ながら、敗れてしまったというわけですな。

 しかしながら、このままやられてばっかりでいる、わけがありません。

 26年後、義尭の子・義弘が挑んだ、第二次合戦。
 この戦いで、里見軍は、見事に、見事に、やってくれました。

 やっぱり、敗れてしまったのです。

 それも、ボコボコに。

 公園の入口付近の、開けた場所から、人気のない、奥の森のほうへ進んでいくと、ありました。ここが、古戦場であることを示すものが。
 里見緒将兵の、慰霊碑が、建っていたのです。

 思わず、手を合わせてしまいました。

 ちなみに、この公園内に、北条側の慰霊碑は、存在しません。
 この事実が、静かに、物語っていますね。

 里見軍が、どれだけタコ殴りにされたのかを。

 慰霊碑に辿り着く前後にも、私、いろいろなものを、発見しましたよ。

 空海が発見したと伝わる湧き水、羅漢の井。
 古墳時代の豪族のお墓であるらしい、明戸古墳石棺。
 うさん臭い怪談が残る、夜泣き石。
 詩人・北原白秋が住んでいた紫烟草舎を、復元したもの
 それから、国府台城址でもあるこの地には、石垣なんかも、残されていました。

 様々なオブジェが、時代を超越して集結しているさまは、まさに、圧巻ですね。

 そんな、数あるオブジェの中でも、最も、歴史的な価値に乏しいと思われるもの
 それを、相変わらずのヘタクソな写真で紹介して、今日の日記を、締めくくらせていただきましょう。

 それでは。



2007年5月24日(木)

 夕礼の時間、副店長が言っていたのですが、今度、この店の、社員(店長と副店長以外)・パート・バイト、それぞれの、リーダーを決めることになったそうなのです。

 この、リーダーというのは、主に、接客面に関してのリーダー。
 リーダーを手本にし、店全体の接客レベルを上げていこうという、そういう作戦みたいです。

 リーダーの選出方法は、いわゆるその、投票です。選挙です。
 全職員に、1枚ずつ渡される、投票用紙。各人、その紙に、「接客態度」、「売り場での声出し」、「身だしなみ」の、3点において優秀と思われる職員の名前を書き、投票箱に、入れます。で、最後に開票してみて、得票数の多かった人が、接客リーダー。と、こういうことになるらしいのです。

 投票期間は、6月1日から8日までの、8日間だそうです。

 ふーむ。
 なるほどなるほど。リーダー、リーダーですか。

 聞き慣れない言葉ですねえ。

 宇宙細菌の、ダリーなら、よく知っているんですが。


2007年5月25日(金)

 今日は私、本来ならば、お休みの曜日。だけれども、午後1時半から午後5時まで、働きました。
 昨日、渡辺チーフから、「人手が足りないから」と、出勤を頼まれていたためです。

 午後3時ごろから、数十分間に渡り、「手洗い講習会」なるものが実施されました。ウチの店に、某洗剤メーカーの社員の方がやってきて、正しい手の洗い方を指導してくれたのです。
 やってきた社員さんは、1名。なんというか、少し、髪の毛が物足りない感じの男性でした。

 会場は、休憩室。参加するのは、本日のこの時間帯に、出勤している皆さん。店長や、飯間チーフ・野沢さん・春井さん・政村さん・各部門のパートさんたち。そして、私です。

 どうもこの講習会、前々から、予定されていたことみたいです。
 私は、全然知りませんでしたが。

 講習は、終始、和気藹々とした雰囲気の中で、行われました。
 そのムードを悪用し、暴走を始めたのが、飯間チーフです。

 彼、講習の間中、やたらに、下ネタを連発。そのたびに、パートのおばさんたちに、ツッコまれていたのです。

 彼が語っていた下ネタの、具体的な内容は、ここには書きません。というか、書けません。
 でもまあ、皆さんウケて、楽しんでいたようなので、別に、良かったんじゃないでしょうか。

 せっかく遠い所からやってきてくれた、洗剤メーカーの社員さんの気持ちを考えれば、だいぶ、良くなかったかもしれませんが。


2007年5月26日(





2007年5月27日(




2007年5月28日(月)



2007年5月29日(火)



2007年5月30日(水)

 またもや、一日中、『シヴィライゼーション』をやって、過ごしてしまいました。

 しかも。しかもです。
 今回やってしまったのは、いつものシヴィライゼーションでは、ないんです。

 スーパーファミコン版の、シヴィライゼーションだったんですよ。


2007年5月31日(木)

 今日は、今月最後の日。全部門で、恒例の棚卸しが行われます。

 なのですが、私は、これには参加しませんでした。
 グロサリー部門の棚卸しは、アルバイトの仕事ではないためです。

 グロ部門に限っては、普段、昼間働いているパートさんたちが、夜、やってきて、棚卸しをするのです。
 グロサリー部門の商品は、とにかく多い。バイトが、通常の仕事をこなしつつ、棚卸しをするなんて、不可能なのです。
 だから、大勢いるパートさんに、特別出演していただき、やってもらうことになっているのです。

 さてさて。これ、先月辺りには、もう決まっていたことなのですが、今日で、ベーカリーのアルバイトの石井さんとは、お別れになります。
 めでたく、就職が決まった彼女、今のお仕事を、辞めてしまうのです。

 優秀なアルバイトである彼女が辞めてしまうことは、ウチの店のパン屋にとって、大きな痛手になるでしょう。
 だけれども、それでも、めでたいことには違いありません。
 彼女には、新しい会社で、さらなる活躍をしてもらいたいものです。

 本日の夕礼の時間、後藤田チーフが、石井さんを送り出す挨拶をしていました。
 通常であれば、いずれかの部門のチーフが、夕礼に参加するなんていうことは有り得ないのですが、なぜか、今日の彼は、勝手に参加。勝手に、挨拶をしていました。

 「アユミちゃんには、いろいろとお世話になったしぃ、個人的にも、個人的にもぉ、すっごく寂しいんですけどぉ、これも、アユミちゃん本人の幸せのためなんで、涙を飲んで、お別れします

 などと、名残惜しそうに、言っていました。

 彼の言う、「アユミちゃん」というのは、石井さんの、下の名前です。
 後藤田チーフは、彼女のことを、こう呼ぶのです。

 この、悲壮感あふれる挨拶から、察しがつくとは思いますが、後藤田チーフは、石井さんのことを、気に入っていたのです。
 その、麗しい容姿を中心に、大変に、気に入っていたのです。

 そんな、お気に入りの彼女に、彼は、たびたび、アプローチをしかけていました。
 そのたんびに、上手かつテキトーに、あしらわれていたようですが、それでもめげずに、頑張っていました。

 つい先日も、お近づきになろうとしたのか何なのか、彼、彼女に、こんなことをお願いしていたんですよ。

 私、偶然にも、立ち聞きしてしまったんです。
 パン売り場での、その、お願い場面を。

 「今度、水着を着て出勤してきてほしい」と、哀願しているところを。

 ……だけれどもね、勘違いなさらないでください。

 「就職うんぬんは、後付けの理由にすぎない。後藤田チーフに、こんなセクハラ発言をされたから、石井さんは辞めてしまった」なんていうことは、絶対にないと思うんです。

 だってねえ、それならば、もう、とっくの昔に辞めていないと、話の辻褄が合わないんですよ。



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