第1話

老いたる若者


 勘違いとは、誠に恐ろしいものである。
 その日は、中学校入学を翌日に控えた、春休み最後の日であった。1997年4月8日のことである。
 だが、その日の朝8時半ごろ、事態は急変した。驚くべきことに、入学式前日と思われたその日は、実は入学式当日だったのである。事前に配られていた、「入学のご案内」なる紙を、何気なく手に取ったところ、確かにそう記されていた。
 受付終了時間は、午前9時。私と母は顔面蒼白になった。大急ぎで、まだ着慣れない制服に着替えると、私は母の車に乗り込み、入学式の会場へと向かった……。
 と、ここら辺で、私が何者であるかを語らねばなるまい。
 私、すなわち筆者は、一般に菜蕪落茶という通称で知られている者である。しかし、この当時は、まだそんな名前を名乗ってはいなかった。要するに、本名しかなかったのである。
 そして、その本名を樫木知彦という。
 これは、私、菜蕪落茶こと樫木知彦の、波瀾に満ちた中学生時代を描いた、感動のノンフィクション小説である。
 とは書いてみたものの、これがなかなか難しい。なぜなら、この物語の冒頭を書いている今現在、私はもう高校2年生なのだ。それも3学期である。中学時代のことなど、そう簡単に思い出せるものではない。
 第一、当たり前の話だが、卒業してから小説を書くために、学校に通っていたのではない。個人的に日記なども付けてはいない。思い出は沢山あるが、どれも断片的なものだ。ストーリーになっていないのである。だから、話の時期的なものが、多少現実と違うところもあるかもしれない。例えば、9月に起きたはずの事件が、10月に起きたことにされていたりとか……。
 しかし、これだけは断言しよう。嘘は絶対に書かない。前述したような細かい部分を除けば、この物語は完全なノンフィクションである。固有名詞以外は真実であると誓おう。読者の皆様方には、それを理解した上で、読んでいただきたい。
 では、物語に戻るとしよう。
 車に乗り込んでから5分強、根見浜市立根見浜第三中学校に辿り着いた。ここが、私がこれから入学することになる学校である。
 受付終了時間には、なんとか間に合った。
 入学式開始は9時半。30分以上時間があるように見えるが、「9時に受付終了」というのは、「9時に教室に集合」という意味なのである。時間はない。私は、バックネット前の掲示板に記されたクラス編成を、ゆっくりと見ることもできなかった。
 自分のクラスが1年2組だということだけ確認すると、私は母と別れ、新入生昇降口へと向かった。
 新入生の教室は、プレハブ校舎にある。根見浜第三中学校では、1984年からプレハブ校舎が使用されているのだ。
 プレハブ使用の理由は、生徒数の増加に対応するためだと思われるが、そんな証拠はどこにもない。間違いかもしれない。ノンフィクションでも、私の勉強不足や勘違いによって、間違いが生じることはあるのだ。その点はご了承いただきたい。
 さて、案内係の教員の指示に従い、プレハブ校舎に入ったまではいいが、そこから先、私は進むことができなくなってしまった。
 1年2組の教室がないのである。
 狭いプレハブには、1階に学年室、11R、12R、2階に13R、14R、15Rがあるだけである。1年2組などという教室は、どこにもない。
 今から思えばアホらしい話であるが、この時の私は、「R」が「ルーム」を意味するということを知らなかったのである。
 ――まずい。このままでは、初日から遅刻だ。
 途方に暮れる私の前に、救世主が現れた。
「お前のクラス、俺と一緒だから、あっちだぞ」
 偶然廊下に出ていた、同じ小学校の、佐藤長隆殿である。
 実際には、「お前のクラス」ではなく、「お前の教室」だったかもしれないし、「俺と一緒」ではなく、「俺と同じ」だったかもしれない。しかし、そんな細かいことは気にしないでいただきたい。いくらノンフィクションでも、人が喋った言葉の端々まで、正確には書けないのである。
 ともかく、彼に助けられ、私は遅刻することなく、12Rの教室に辿り着いた。
 教室内で待つこと数分、教員と思われる男が入ってきた。年齢は34、5歳といったところであろうか。雰囲気から判断して、数学の教師に違いないと思った。
 彼は、入学式を始めるにあたっての注意事項を述べ始めた。
「校歌斉唱が終わったら、新入生紹介があります。11Rから15Rまで、順番に呼ぶので、自分の名前が呼ばれたら、大きな声で返事をしてください」
 彼は、なかなか穏和な雰囲気である。私は、自分が今まで抱いていた、中学校に対する、「厳しい」というイメージが、縮んでいくのを感じた。
 また彼は、こうも言った。
「このクラスじゃありませんが、君たちの小学校の卒業生の他に、横浜から来た、財前孝輔君、ブラジルから来た、重森・ニウトン・カルロス・テイシェイラ君が、三中に入学します。名前を呼んだ時に、笑ったりしないように」
 なかなか気が利いている。
 日本のバカな中学生が、カルロス殿の心を傷つけないための配慮である。
 だからといって、生徒に彼が外国人であることを意識させるのもどうかと思うが、入国したての心細い気持ちを考えれば、これも仕方のないことであろう。
 ちなみに、三中とは、根見浜第三中学校の略である。この周辺の4市、根見浜市、由浜市、鳥ヶ崎市、手浜市の中で、中学校に、第一、第二などと付くのは、根見浜市だけなのだ。そのため、この周辺では、三中といえば、根見浜三中のことなのである。
 注意事項の説明が終わり、ついに入学式会場に向かう時がやってきた。
 先ほどの教員の後に続き、12Rの生徒たちは廊下を歩いていく。
 やがて、体育館に辿り着いた。ここが、入学式の会場である。すでに、私の母を含め、新入生の保護者たちは、着席して待っている。
 我々は、盛大な拍手に迎えられながら、事前に指示された通りの順番で、着席していった。
 式が始まり、校歌斉唱。2、3年生のみ立ち上がって、歌う。しかし、あまり聞こえない。あまりマジメに歌っていない。当然である。
 校歌が終わり、新入生紹介の時間がやってきた。
 11Rの男子1番から、名前が呼ばれる。私は12Rの8番なので、11Rの女子が終われば、すぐである。
「樫木知彦」
「はい!」
 私は、緊張を押さえながら、大きな声で返事をした。
 13Rのカルロス殿も、大きな声で返事をする。誰も笑う様子はない。おそらく、他のクラスでも、同じ注意がされていたためであろう。
「以上、191名」
 新入生紹介が何事もなく終わり、私の緊張の糸も、少しはほぐれた。
 ところで、この会場の座席に座ってから、私には気になっていることがあった。
 左隣の席の小柄な人物が、私を見て、ビビッているのだ。
 悲しむべきことに、その理由が、私には分かった。
 私の目つきが悪いのである。
 それに、この当時、私の身長は150p強。ほぼ中くらいの背であった。現在のようにチビではない。彼が、危険な不良と見間違えるのも、無理はないだろう。
 最近でも、本屋などで小学生と目が合うと、まるでツキノワグマに出会ったアコヤガイのように、顔色を変え、逃げられてしまうのだ。誠に悲しむべきことである。
 左隣の彼の他に、右隣の人物も気になっていた。
 彼は、背丈は私と同じくらいだが、幅は私の2倍ほどあった。
 それが、戦闘態勢に入ったイエティのうなり声のような、激しい息をしているのである。最初にその声を聞いた時、私は身も凍るような恐怖を感じた。
 しかし、数分後には、肥満体のため、息が荒いだけだということが分かった。
 そういえば、まだ12Rの教室にいた時、彼ら二人は、こんな会話をしていた。
 私の前の席、出席番号7番の小柄な彼が、私の後ろの席、出席番号9番の肥満体に話しかける。
「おい飯塚、ポケモンブルー売っちまうぞ」
「返せよ」
 小柄な人物は、肥満体に、しきりにそれを繰り返していた。
 私は、彼らとは小学校が違うので、詳しいことは分からないが、どうやら、肥満の彼は、ヒマラヤ一帯を支配する凶暴なイエティというよりは、ヤラレ役の穏和なデブという感じである。
 彼らはそれぞれ、小柄な方を平野和樹殿、肥満体の方を飯塚裕介殿といった。
 さて、入学式会場に話を戻そう。
 閉式の言葉が終わり、式が終了すると、職員紹介が始まった。
 11R担任の、谷文也先生。
「根見浜第三中学校について、一つ、誇りに思っていることがあります。それは、三中は市内の中学校では、一番生徒数が多いので、ケンカしたら一番強いということです」
 発想が野蛮である。
 13R担任の、穂坂貴子先生。
「私は、1年生全クラスの英語を受け持ちます。新入生だからといって、甘やかさず、厳しくやっていきます」
「厳しくやっていきます」とは、その後の彼女の無様な生活を考えれば、あまりにも皮肉な言葉である。
 さて、記憶に残っている自己紹介はこれぐらいだが、私は、一つ勘違いをしていたかもしれない。
 この自己紹介のセリフは、入学式翌日に行われた、新入生オリエンテーションでのものだった可能性があるのだ。
 まあ、いずれにしても、時期的な大差はない。気にしないことである。
 そうこうしているうちに、新入生退場の時間がやってきた。
 再び拍手で送られながら、我々は来た道を戻っていく。
 12Rの教室に到着し、全員が着席すると、体育館に行く前に注意事項を述べた男が喋り始めた。行きも帰りも、12Rを引率したのは彼である。
「私は、このクラスの担任に選ばれました、西条陽太と申します。教科は体育。1年生男子を担当します。あと、陸上部の顧問もやるんで、是非入部してください」
 担任が穏やかそうな人物で良かった。しかし、彼が体育の教師だったとは意外である。
「皆さん、私を見て、何歳だと思いますか?」
 彼は突然、不安そうな顔になって言った。
「35歳!」
「38歳!」
「36歳!」
「40歳!」
 生徒たちは、口々に自分の予想を言っていく。それにつれて、西条先生の顔は曇っていく。
「実はね、私は、今年が教師になって1年目で、皆さんと同じ1年生なんです。年齢は25歳です」
 にわかには信じがたい話であった。とても25歳の若さには見えない。彼は、良くいえば大人っぽい、悪くいえば老いぼれた面構えであった。髪の毛も、額の方角から、かなり寂しい感じである。
 おっさんと見間違われた悲しみを乗り越えて、彼は自己紹介の続きを始めた。
 根見浜市に隣接している市、梶元市にある、駒岡高校の出身であること。
 そこの陸上部で、国体上位入賞したこと。
 卒業後、呉服屋に就職したが、自分に合った仕事ではないと感じ、後輩の陸上選手を育て、自身のオリンピックへの夢を託すため、中学校の教師になったこと……。
 こうして、感動の自己紹介は、終わった。
 次は、配付物を配る時間である。
 家庭環境調査票、自転車通学に関するプリント、生活記録ノートなどが、次々と配られる。
 自転車通学に関するプリントとは、要するに、自転車通学に関するプリントである。三中では、ある程度学校から離れた区域に住んでいる生徒のみ、自転車通学が許可されているのだ。ちなみに、私もその中の一人である。
 続く、生活記録ノート、「メモリーズ」は、このノンフィクション小説を書くにあたって、重要な資料となったものである。特に、この1年初期の段階では、比較的マジメに書いていたので、当時の出来事がよく分かった。
 このメモリーズ、要するに、生徒と教師との交換日記である。生徒は、帰りの会の時間にその日の感想を書き、翌日の朝の会の時間に、担任に提出する。すると、その日の帰りの会の時間に、担任のコメント付きで帰ってくる。この繰り返しである。
 教室での時間が終わると、再び体育館に戻る。クラスごとに記念撮影があるのだ。
 そこには、保護者たちも待っている。さっきまで、PTA結成集会が開かれていたのである。
 記念撮影が終了すれば、もう下校である。私は、再び母の車に乗り込み、エンジン音と共に帰宅した。
 その晩、仕事から帰宅した父に、担任のことを話した。
 父は、彼が駒岡高校出身であることに、不信感を覚えた様子であった。駒岡高校は、荒れていることで有名な高校だったのだ。
 また、父はこうも言った。
「たった25歳のガキに、教師が勤まるわけがない」
 そりゃあ、当時41歳のアンタから見れば、ガキかもしれないけど、12歳の私から見れば、25歳だって十分大人なんだよ……。
 とまあ、こんな具合で、その日は暮れていったわけである。明日からは、本格的な中学校生活が始まる。どうなるか楽しみだ。
 ところで、私はこのノンフィクション小説の中学1年生時代を、勝手に「胎動編」と名付けた。なぜならこの時期は、後に、三中一の変人と呼ばれることになる私の、異常な人格が形成された、重要な時期だからである。
 というわけで、壮大な物語は、船出をした。この広い海に、ゴールはまだまだ見えない。行き先に見えるのは、まるで果てしなく続くかのような、水平線のみである……。



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