第2話

ランチタイムに雑草を


 根見浜第三中学校の学区内には、2つの公立小学校がある。根見浜第三小学校と、像東小学校が、それである。
 三小の学区は、全て三中の学区内なので、私立中学校に行く者以外は、基本的に全員三中に入学する。それに対し、像東小の学区は、一部、仲野中学校と重なっているため、三中に入学するのは、全体の8割程度である。ちなみに、私もその8割の中の一人だ。
 2つの異なる小学校の生徒を混じり合わせても、当然最初は溶け合わない。他人同士だからだ。皆、緊張を隠し切れない。
 そんな、張りつめた空気を和ませるために、入学式から3日後、4月11日に行われたのが、潮干狩りである。
 その日の朝、三中の新1年生は、ジャージ姿で学校に集まった。
 全員ジャージ姿なのは、潮干狩りに行くからではない。三中では、どういうわけか、日常的に体操服登校なのである。制服を着るのは、入学式や終業式、文化祭などの、特別な行事がある時だけなのだ。
 行程の確認をした後、9時に我々は出発した。目的地は、根見浜市内の、内ノ島の潮干狩り場。海を目指し、三中生の列は西へ歩いていく。
 数十分後、我々は海辺に辿り着いた。しかし、目的地はもう少し先だ。内ノ島へ行くためには、橋を渡らなければならないのである。内ノ島は、その名の通り、東京湾に浮かぶ、島なのだ。
 三中の新1年生たちは、次々と、内ノ島へと続く橋、内ノ島大橋を渡っていく。
 赤色をしたこの橋は、まっすぐ内ノ島へ向かうのではなく、まずは螺旋状に高所へ上がっていくという、目的不明の構造をしている。あるいは、海面との距離を離すことに、何か意味があるのかもしれない。
 私も、恐る恐る、橋を上へ登っていった。幅、数mの橋の、真ん中をゆっくりと歩いていく。
 橋が、螺旋状に上がるのをやめ、ゆるやかな放物線を描きながら、内ノ島へ向かって進み始めると、私はほんの一瞬、橋の下を見た。
 かなり、高いように見える。
 私は思った。
 ――こ、怖い。
 実をいうと、私は、高い所が死ぬほど苦手なのだ。異常なまでの恐怖を感じる。ちなみに、他に、犬と病院も怖い。
 内ノ島に近づくにつれて、橋は、再び螺旋状になってくる。それを、少しずつ下っていき、私は、やっとの思いで島に辿り着いた。
 内ノ島は、その大部分が、内ノ島公園という、公園になっている。到着してしばらくは、この公園内で自由行動なのだ。
 公園内をうろついていると、同じ、像東小出身の、横内伸哉殿と出会った。彼のクラスは、13Rである。
 彼と話している途中、入学式で、私の隣の席でビビッていた、平野和樹殿が近くを通りかかった。誰かと、鬼ごっこ的な遊びをしている様子である。
「あのチビの後ろの席なんだよ」
 私は、平野殿を指さしながら、横内殿に言った。
 横内殿は、善人ぶった返答をする。
「チビだなんて言っちゃいけないよ」
 将来の自分の身長を考えれば、自爆的なセリフなのだから、別にいいではないか。
 公園の端の、海のすぐそばで、担任の西条先生を発見した。周りには、数名の生徒が集まっている。彼は、生徒たちによって、顔中にタンポポをくっつけられているのだ。タンポポの首飾りまで下げさせられている。
 西条先生は、照れてはいたが、嬉しそうであった。
 新米の教師なのだ。生徒がなついてくれば、それはそれは嬉しいであろう。
「カワイイですね」
 西条先生と同い年の、佐藤綾美先生が、そんな、花まみれの彼の姿を見て言った。彼女は、「第1学年学年付き」という、よく分からないポジションにいる教師である。
 彼女の言葉に、西条先生は、より一層照れた様子であった。
 つかの間の自由時間が終わると、昼食である。各自、自宅から持参した弁当を食べるのだ。
 生徒たちは、それぞれ適当にグループを作り、適当な場所に座って、食べ始める。
 私も、像東小出身の、池田大助殿、佐藤長隆殿、吉田功司殿、小西忠幸殿、三小出身の、伊藤貴司殿、大久保靖章殿らと共に、芝生の上に座り、食事を始めた。ちなみに、彼らは全員、12Rの生徒である。
 このメンバーの中の一人、佐藤長隆殿は、当時でも身長が170p程度あり、中学生1年生としては、かなり大きかった。その上、ゴツい顔をしており、鼻の上に傷まである。非常に危険な印象を受ける人物である。
 しかし、彼は断じて、見た目通りの凶悪な危険人物などではない。
 小学生のころ、彼は、多くの人に「ゴリラ」などと言われ、冷やかされていた。もし彼が、本当に凶悪な危険人物であれば、命を惜しんで、誰もそんな暴言は吐かないはずである。
 では、彼は、気の小さい弱虫なのかといえば、そんなこともない。悪口を言った者には、ちゃんと反撃するのだ。
 しかし、決して本気で怒ったりはしないし、本気で殴ったりもしない。要するに、じゃれ合っているだけなのである。
 ちょうど、小学校低学年くらいの男の子が、好きな女の子をからかって、反撃されて、快感を得ているような状態なのだ。
 つまり、彼は、他人の冷やかしを臆することなく受け止め、じゃれ合いに持っていくだけの心の広さを持った、立派な人格者なのである。彼を冷やかす者たちも、本当は皆、彼のことを慕っており、相手が彼であることに安心して、冷やかすのだ。
 佐藤長隆という人物は、凶悪な危険人物どころか、「気はやさしくて 力もち」を地で行く男なのである。
 そういえば、こんなこともあった。
 小学6年生のころ、私と佐藤長隆殿は同じクラスだった。そのクラスで、私は、彼を倒すための超必殺技を開発した。
 「龍の爪」という名のその技は、まず、ターゲットにケンカを売ることから始まる。
「おい長隆、お前を倒すための必殺技を編み出したぞ」
 ここで、相手は恐ろしげな表情を浮かべる。どんな技が来るのか、不安を感じるのだ。
「いくぞ! 必殺拳、龍の爪!!」
 相手の目の前、数十pのところで、左手を頭上の方へゆっくりと上げていく。その指は、人指し指と中指だけが立ち、鉤爪のように下を向いている。
 この段階で、相手の恐怖心は頂点に達する。これから何が起こるのか、どんな恐ろしい運命が自分を待っているのか、頭上に上がった、敵の左手を見ながら、ただただ怯えるばかりである。
 その隙を突いて、残った右手で、相手の腹に一撃を入れる。
 これが、必殺拳、龍の爪である。
 早速、私は長隆殿に使ってみることにした。
「いくぞ! 必殺拳、龍の爪!! ……まっ、まいった!」
 結果、左手を、上げようとしたところで、長隆殿にねじり上げられて、終わりであった。必殺拳が、破られたのだ。
 その時の教訓を忘れてか、私は再び、佐藤長隆殿にケンカを売ってしまった。
 内ノ島公園での昼食の間、彼が何か言うたびに、私はツッコミを入れた。別に、彼がボケをかましていたからではない。要するに、からかっていたのだ。
 その場には、まだ名前くらいしか分からない、三小出身の生徒もいる。私としては、彼らを笑わせ、好印象を持たれたかった。
 実際、彼らは笑ってくれた。その意味では、長隆殿をからかったことは、正解といえる。
 しかし、当の長隆殿にとっては、それは耐えがたいことであったろう。前述した通り、その場にいる三小出身の生徒たちとは、まだ他人同然なのだ。見ず知らずの人の前で恥をかかされるのは、彼も嫌なはずである。
 そして、彼の我慢が限界に達する時がやってくる。
 その時、私は、そこら辺に生えていた雑草を引っこ抜き、彼の前に差し出したのだ。
「長、食う?」
 私の言葉に、一同は爆笑した。ちなみに、長(なが)というのは、長隆の長である。多くの人は、彼のことをこう呼ぶのだ。
 彼は、黙っていたが、一同の笑いが収まらないうちに、立ち上がった。
 そして、無表情のまま、私に接近してくる。私も、立ち上がり、後ろ歩きで少しずつ逃げる。
 しかし、すぐに、二人の距離はゼロになった。
「痛えぇっ!!」
 その瞬間、信じられないほどの激痛が、私の左のすねを襲った。
 長隆殿得意の、すね蹴りが炸裂したのだ。
 私は、立ち上がることができず、痛さのあまり、芝生の上を転げ回った。その光景を見て、一同は大爆笑である。
「おもしろいっしょ?」
 像東小出身の、池田大助殿が、三小出身の、伊藤貴司殿に聞いた。
 質問された伊藤殿は、にこやかにうなずく。
 私は、自らを犠牲にして、一同を笑わせたのだ。長隆殿に、おいしいところを持っていかれてしまった気もするが、新しい生活のスタートに、皆に強い印象は与えられたはずである。
 こうして、昼食の時間も終わり、いよいよ潮干狩り開始の時がやってきた。
 しかし、困ったことに、私には、ここから先の記憶が全くない。何も覚えていないのだ。誰と共に行動したのかも、アサリがどれくらい採れたのかも覚えていない。
 したがって、潮干狩りの話は、ここで終わりである。
 おそらくは、いくらかはアサリが採れ、帰ってからアサリ汁にでもされたのだろう。
 最後に一つ、長隆殿に蹴られた左のすねは、数日間、アザと痛みが引かなかったことを、付け加えておこう。



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