第3話

ある朝の危機


 三中では、生徒の大半が部活に所属している。後で説明する奉仕部も部活に数えるなら、大半どころか、全員ということになる。
 1年生は、4月中は、仮入部という扱いである。5月、顧問に入部届を提出し、正式に入部となる。
 私は、この、多くの1年生が部活を決める時期には、結局どの部活にも入らなかった。仮入部もしなかった。私が、陸上部に入部することになるのは、まだまだ先の話である。
 そんな、どの部活にも属さない者が、強制的に入部させられるのが、前述した奉仕部である。
 この奉仕部、基本的には、世間一般でいう帰宅部と同じものなのだが、各学期に一回だけ、放課後の強制奉仕活動をさせられるのだ。しかも、一般の部活が活動を停止している、テスト期間中にである。
 どう考えても、これは、部活に入らない者に対する嫌がらせとしか思えない。部活に入らない者を、なまけ者として、冷遇しているのだ。
 しかし、本来部活動の魅力とは、生徒に選択の自由があることであるはずである。義務ではないことに、意義があるのだ。部活に入ろうが、入らない代わりに勉強をしようが、遊びに行こうが、オムライスを食おうが、肥やしをまこうが、生徒個人の勝手なのである。
 それなのに、部活に入らない者をなまけ者扱いして、奉仕部などというものに強制入部させることは、大きな間違いなのだ。
 第一、そんなものに、奉仕などという名前を付けること自体、ふざけている。無理矢理やらされているのだから、そんなもの、奉仕でも何でもない。奉仕部ではなく、強制労働部にするべきである。
 さて、部活動の話はこれぐらいにして、そろそろ本題に入ろう。
 今回は、入学して間もないころの授業風景を中心に、話を進めていく。
 まずは、国語である。
 12Rの国語の教科担任は、第1学年学年主任の、小川俊郎先生、38歳だ。
 彼は、イソップ童話、『北風と太陽』でいうところの、太陽型に属する教師であり、それは、彼の、学年主任としての指導のしかたにも、色濃く反映していた。そのため彼は、多くの生徒から慕われることになるのだが、当時はみんな新入生、彼の人間性など、知るはずもない。よって、誰も親しみを持って話しかけたりはしない。
 そんな、他人行儀的なムードを一気に崩し、彼と、我々生徒との距離を近づけたのが、このエピソードである。
 入学してから数回目の授業でのことだ。小川先生は、いつものように教室にやってくると、教卓の前に立ち、おもむろに口を開いた。なかなか渋い演技である。
「いつも、車で、手浜から三中に通ってるんだけど、去年のある朝、たまたま早起きしたから、根見浜駅まで電車で行って、そこから歩いて学校に行くことにしたんだよな」
 「歩いて学校に行くことにしたんだよな」などと簡単に言うが、駅から三中までは、徒歩で20分以上かかる。つらい距離ではないが、めんどくさいといえよう。
 小川先生は、話を続ける。
「そしたらさ、途中まで歩いたところで、急に腹の具合が悪くなってきたんだよ。でも、学校にはまだ着かないし、駅のトイレからはだいぶ離れちゃったし、絶体絶命の状況になっちゃったんだよな」
 小川先生の話では、その後、腹部の激痛に必死で耐えながら、学校に向かって歩いていくと、早朝の、誰もいない公園の木の陰に、ボウル大の穴があるのを発見したらしいのである。
「それを見て、ある言葉が頭をよぎったんだよな」
 小川先生の、表情が、変わった。
「そう、最後に、『そ』が付いて、最初に、『の』が付いて、真ん中に、『ぐ』が付くやつな」
 ここで、教室の皆さんに笑いが漏れた。
「だけどそう思った次の瞬間、ジェントルマンな自分が音を立てて崩れていくのを感じたんだよ」
 彼は、どうにかその場は我慢し、三中の向かい側にある、コンビニ、am/pmまで足を進めたそうである。
「もう、完全に爆発寸前で、学校のトイレまで間に合いそうになかったから、必死で、そこのエーピーに入ったんだよな。で、冷や汗ダラダラなのに、さわやかな顔をして、『すいません、おトイレ貸してください』って、なんかキドッてんだよ」
 この、「すいません、おトイレ貸してください」は、本当にキザな言い方をしていた。そこが絶妙で、多くの人の笑いを誘った。
「この場合は、ハッピーエンドだったから良かったけど、もし、あそこで、トイレに誰か入ってたら、君たちと出会うこともなかっただろう」
 そして、彼は、こう締めくくった。
「そんなこんなで、毎日を過ごしています……って、毎日こうなのかよ」
 私の非才のせいもあって、この文章では、あまりおもしろさが伝わらないかもしれないが、彼は、非常に話が上手で、我々をかなり楽しませてくれた。声も、NHKのアナウンサーにいそうな、いい声なのである。
 なお、この腹痛の話は、彼が国語を担当するその他のクラス、13、14、15Rでも話されたらしく、ほどなくして彼は、生徒から「ジェントル」と呼ばれるようになった。無論、親しみを込めてである。彼も、それを計算に入れて話をしたのであろう。
 もう一つ、小川先生について、大事なことがある。
 俳優、本森オレのモノマネだ。
 これは、モノマネというより、本人そのものといった方がいいかもしれない。なにしろ、そっくりなのだ。最初にそれを聞かされた時は、クラス中が驚きの声を上げたほどである。
 寛大な指導方針と、おもしろい話と、本森オレのマネ。この3つで、彼は、学年一の人気取り教師になっていったといえよう。
 次は、14R担任の、広崎昌美先生、40歳が担当する、数学である。
 実をいうと、私は、この教科が非常に嫌いであった。
 別に、広崎先生が嫌いだったわけではない。純粋に、数学という教科が嫌いだったのだ。過去形で書いているが、今でもそうである。
 まず、中学校で最初に習う、+の数と−の数だが、あれは相当におかしい。
 +と−をかけると、−になるというが、一体、どうしてそういうことになるのか、全く説明がないではないか。
 そもそも、その論理では、「5個のギョーザが−7列あった場合、その総数は−35個である」ということになってしまう。
 おい、5個のギョーザはどこへ行った? −7列って、どういう意味?
 この手の屁理屈は、小学校の算数時代から、頭の中を巡っていた。
「まさお君の家の、なす畑の面積を求めなさい」という問題を見れば、こう思ったものである。
 ――なぜ、この俺が、まさお君の家の、なす畑の面積を計算しなきゃならないんだ! 俺は、そんな奴知らんぞ!
 そうだ、算数といえば、いまだに私は、割り算の筆算ができないのであった。これでは、数学など理解できるはずもない。
 そんなわけだから、教科担任の広崎先生に関しても、このころのことは、あまり思い出すことができない。
 12Rの、像東小出身の野球部員、吉田功司殿と、14Rの、三小出身の、同じく野球部員、高田晋太郎殿の後ろ姿が、そっくりだと言っていたことが、かすかに記憶に残っている程度であろうか。実際に、当時の彼らは、浅黒い肌と、少し太めの体格が、そっくりだったのだ。
 さて、続いては理科である。担当の教師は、研究主任の、牧野尚弥先生。年齢は、39歳だ。
 彼は、私の第一印象では、穏やかそうな、いい先生であった。しかし、残念ながら、それは第一印象だけだったのだ。
 彼の最初の授業は、意外なことに、校庭での鬼ごっこであった。
 鬼になって、タヌキのような顔と腹で、必死に、佐藤長隆殿を追いかける牧野先生。しかし、簡単に逃げ切られてしまう。
「僕の体力じゃあ、もう長隆君には勝てないんだなあ」
 彼は、その後の、長隆殿の、陸上部での業績を考えれば、あまりにも当然すぎるセリフを吐いた。
 そして、鬼ごっこが終わると、彼はこう言った。
「これからも、たまに、理科の授業の代わりに、レクをやることがあると思います」
 しかし、その言葉に反して、これ以降、そんなものは一切なかった。
 次は、英語の、穂坂貴子先生。13Rの担任である。
 彼女の年齢は不明だが、かなりのベテランであることに、疑いの余地はない。色は白く、見た目は、まるで老婆のようである。
 また、彼女には、入れ歯疑惑があった。それは、彼女の授業を受ければ、誰もが思うことであった。
 なにしろ、英文を一つ読み終えるたびに、口をモゴモゴさせるのだ。早口で喋っている途中で、突然、あわてて口を押さえたこともあった。
 それでも、彼女は疑惑を否定した。
 その姿は、滑稽ですらあった。
 しかも、彼女は教師としても無能だったのである。
 高い声で、一人でブツブツ言っているだけで、全く人間としての会話ができなかったのだ。おまけに、天然ボケであった。
 したがって、当然、彼女には、生徒の皆さんにバカにされる運命が待っていた。悪い人ではなかったから、憎まれたりはしなかったが、そのからかわれ方はヒドかった。
「若さが吸い取られる〜」
 彼女に話しかけられた時、誰かがこう言った。
 しかし、穂坂先生は、それが、自分を侮辱した言葉であることにすら、気づかなかったのである。
 穂坂先生の他に、もう一人、英語の教師がいた。ALT(アシスタント・ランゲージ・ティーチャー)の、カロル・ニコラス・ヨシト先生、通称ニックである。
 ALTとは、一つの学校に、非常に短期間しかいない、外国人教師のことなのだが、外国人という割に、彼は、日本語が達者であった。どうも、日本人である母に影響されたらしいのだ。日本に来ようと思ったきっかけも、その辺にあるのだろう。
 しかしながら、彼の、学校集会でのスピーチは、全て英語であった。
 一体どういうことだろう? 日本語が喋れるのなら、日本語でスピーチすればいいのに。そもそも、相手は日本人なのだから。
 そんな、ニック先生が、初めて12Rの授業に来た時のことだ。彼は、自己紹介の後、生徒たちにこう言った。
「何か、僕に関して質問はありませんか?」
 直後、多くの手が挙がり、多くの質問が飛び出した。それに対し、ニック先生は、一つ一つ、しっかりと答えていく。
 ようやく、質問が尽きたかと思われたころ、新井直幸殿が、前の席の、伊藤貴司殿の耳元でささやいた。彼らは、共に陸上部員で、小学校も、三小で、一緒である。
「アメリカ人のチンポはデカいから、先生のチンポもデカいんですか?」
 新井殿は、伊藤殿に対する冗談のつもりで言ったのだろうが、彼ら二人の席は、前から1番目と2番目なのだ。今の言葉が、ニック先生に聞こえないはずはない。
 しかし、ニック先生も、ユーモアというものをよく理解した人物である。
「何だって?」
 彼は、新井殿にこう聞き返した。
「いや、何も言ってないですよ」
「いや、確かに聞こえたよ。もう一度大きな声で言ってください」
 そう言うと、ニック先生は、教室の前の隅にあった傘立てに、どういうわけか立ててあった、野球部用の金属バットを手に取った。
 必殺の構えである。
 冗談とはいえ、授業中に生徒に金属バットを振り上げた教師と、笑いながら謝る新井殿の姿に、生徒たちは大いに笑った。
 その後、バットを握ったことがきっかけとなって、ニック先生の祖父が、昔日本で甲子園に出場したことに話題が移り、新井殿は一命を取りとめた。
 この新井殿、なぜか、通称をオリナンといった。
 後に、私と深い関わりを持つことになる彼は、クラス一の問題児であった。
 次回は、1年初期の、彼の活躍ぶりを中心に話を進めていくことにしよう。



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