第11話

大いなる愚問


 待ちに待った、中学生になって初めての夏休みがやってきた。
 この夏休み、私は、しょっちゅう、関屋毅殿と遊んだ。私の家で、地味に。
 私たちがおやりになっていたのは、やはり、テレビゲームであった。このころは、全然マトモな遊びばかりしていたのだ。
 スーパーファミコン用シミュレーションゲーム、『シムシティー』。市長となって、自分だけの街を作っていくゲームである。これを、私たちは、よくやった。
 ある日のこと、市内にそびえ立つ、博覧会開催記念のモニュメントを、「長んち」という設定にして、我々は、意図的に災害を発生させるコマンドを実行、手塩にかけて育てた街を、自らの意思で破壊していった。
 意図的災害の一環として出現した、大怪獣クッパが、建物をメチャクチャに踏み壊しながら、長隆殿の家の方へ、一直線に向かっていく。
 彼の家は、もはや、目前だ。怪獣が、あと一歩前進すれば、粉々に破壊されてしまう。
 しかし、どういうわけか、唐突に怪獣はUターン、元来た道を、引き返してしまった。
 これを見た、私と関屋殿は、呼吸に支障をきたすほど笑った。いよいよ、長隆最強伝説が、確かなものとなったというわけである。
 だが、それからほどなくして、やはり、意図的災害の一環として発生した、飛行機事故により、彼の家は、一瞬で、跡形もなく燃え尽きてしまった。
 無理もない。なんせ、落ちてきたジャンボジェット機が、直撃したのだから。
 他に、私たちは、同じくスーパーファミコン用シミュレーションゲームである、『蒼き狼と白き牝鹿 元朝秘史』というゲームも、よく楽しんだ。これは、中世の、世界のどこかの土地の領主となって、世界征服を目指すゲームである。
 私たちは、イギリスでプレイしていた。
 イギリスの国王、リチャード1世の配下の将軍に、「ヤンシャオ」という人物がいた。彼は、大変ゴツい顔をしており、しかも、鼻の上に、どうも、傷らしきものがあるようであった。
 こうして彼は、例によって、長隆殿ということにされたのである。
 だが、この時はまだ、この名が、あれほどメジャーなものになるとは、私も関屋殿も、全く予想してはいなかった。
 ちなみに、これらのゲームは、以前登場した『ソウルエッジ』も含め、全て、私の家にあったものである。
 ところで、関屋殿が、夏休み中、全く場違いな場面で、大活躍をしたことがあった。
 ある日、昨年度卒業した、像東小学校の旧6年3組の、同窓会的なものが、像東小の体育館を舞台に行われた。
 首謀者は、仲野中へ行った、高木美鈴殿。私の元クラスメイトたちは、ほぼ全員集合した。中学校になじめず、懐古的なムードの中にあった私も、参加した。
 私は、仲野中へ行った、黒部政樹殿、加瀬勇哉殿と、私の家の前で、待ち合わせをしていた。共に、現場まで行こうというのだ。
 久々に再会した二人に、私は、小声で、これから秘密裏に行われる、ある計画のことを、話して聞かせた。そうして3人で、ニヤニヤと、クスクスと笑った。
 懐かしき体育館に到着すると、旧6年3組の担任で、私の、小学校時代最大の宿敵であった、森崎遥子先生、40歳が、ニセ者かと疑いたくなるほど、温かく迎えてくれた。
「ああ、先生、まだ生きてたんですか」
 私は、冷たく言い放った。
「樫木さぁん、何ですかぁ、それは? 失礼でぇす」
 森崎先生は、しかめ面をしたが、冗談であることは、理解してくれたようである。彼女、卒業生には優しい様子だ。これが在学中なら、厳しい展開になっていたことだろう。
 体育館には、何を血迷ったのか、大量のテーブルとイスが並べられている。
 ひと通りメンツが揃うと、全員席に座り、まずは、森崎先生の挨拶が、ドカドカと、バッコンバッコンと始まった。「皆さん、集まってくれて感謝」的な内容であったと思う。
 その、静かなムードを切り裂いたのは、謎の炸裂音であった。
 バババババババン! バババババババン!
 場の空気に合わない怪音が、体育館の外から、何度も連続で聞こえる。まるで、マシンガンだ。
「ちょっとぉ、何ですかぁ、これは?」
 森崎先生は、露骨に不快感を表す。旧6年3組の連中も、恐怖みたいなものに包まれたような表情で、イスで固まっている。ただ、私と、黒部政樹殿、加瀬勇哉殿、そして、同じく計画の内容を聞かされていた、長隆殿など数名だけが、堪えるように薄ら笑いを浮かべていた。
 なんとなんと、こういった甘ったるい集まりが好かんかった私は、前もって、関屋殿に、クラス会をブチ壊してくれと依頼していたのであった。
 この集まりを楽しみにしていたくせに、ひねくれたガキだ。
 炸裂音の正体は、爆竹であった。体育館の脇で、大量の爆竹が炸裂したのだ。
 このブチ壊しの方法は、完璧に、関屋殿に委任してあった。後日、彼から聞いた話では、本当は、体育館内にロケット花火を撃ち込むつもりだったのだが、さすがにそれは、色々とリスクが大きいので、やめたそうである。
 決行当日には、すでに爆竹作戦に内定しており、それは、私の耳にも届けられていた。それを、黒部殿らに伝えたというわけである。
 それにしても、自分で依頼しておいて、こんなことをいうのも何だが、関屋殿、一体何なのか? 母校でもない像東小に、一体何の恨みがあったのか? まあ、卑劣な彼なら、やって当然という気もするが。
 さて、爆音はやみ、誰かが、体育館の外を偵察に行くこともなく、クラス会とやらが、本格的に始まった。
 といっても、大したことが行われたわけではない。皆さん、用意された軽食でもつまみながら、テキトーに喋り合っただけである。ゲームか何かが行われた気もするが、それもよく覚えていない。ちなみに、軽食というやつは、一人一人に、あらかじめ用意されてはいるが、後で、ちゃんと金を取られる。
 雑談時間、私は、森崎先生に、「将来の夢は何か?」みたいな、ありきたりな質問をされた。
 私は答える。
「将来ですか? 将来、有名になりますよ。……下着泥棒で」
「下着泥棒ですかぁ? それじゃ困ります」
 かつて、耳にタコができるほど聞かされた、しゃがれたおばさん声が、ツッコミを入れた。いつの間にか、冗談の通じる女になっている。
 そんなこんなで、どうということもなく、クラス会とやらは終幕した。ブチ壊しにならなくて、残念である。……じゃなくて、とても良かった。若気の至りとはいえ、つまらぬことを画策して申し訳なかったと、今では少し、反省している。
 さて、同窓会が、これより前だったか後だったかは不明だが、8月6日に、私は13歳の誕生日を迎えた。
 この日は、皆さんご存知の通り、広島の原爆記念日である。そのため、誕生日の朝にテレビをつけると、いきなり群衆が黙祷をしているという、悲劇的な事態が、毎年、私の身には起こるのだ。
 ちなみに、私と同様の、縁起でもない誕生日を持つ者に、かの新井直幸殿がいる。彼の誕生日は、4月27日。「死にな」生まれである。彼も、よくこの誕生日を、ネタにしていた。
 ところで、1学期、私が、市橋恵殿に、自分は夏生まれだと話すと、彼女、全く意外だと語っていた。彼女の目には、私は、間違いなく冬生まれと映ったそうなのだ。
 やはりここでも、当時の私のキャラの何たるかが、分かってしまう。
 私の誕生日が過ぎれば、もう間もなく、お盆がやってくる。そうすると、例年、東京に住まう叔父、樫木篤さんが、根見浜に帰省してくる。
 普通、帰省したなら、実家に泊まるのが筋なのだろうが、あの家は、部屋の中の品々が限りなくカオスな状態で、とても宿泊することなどできない。そのため、毎年のように彼は、8つ年上の兄である、私の父を頼って、私たち家族の家に泊まっていくのだ。
 ちなみに、私の家は、6人家族である。両親、私、それから、私の弟が3人という布陣だ。
 8月15日の、夜更けのこと。例年通り、二人で大量の酒を飲みまくって、話に花を咲かせている、父と叔父。その、魔の渦の中に、私という子羊は、巻き込まれてしまった。
 この叔父は、実をいうと、大変危険な人物なのである。学生の時分は、ケンカの鬼で、周囲の人々から恐れられていたという。
 だが、彼、顔は、渋いヒゲといい、鋭い目つきといい、いかにもだが、体格の方は、中肉中背で、それほどの猛者には見えない。
 では、いかなる理由で、彼は強者なのか?
 関節技である。
 若き日より、少林寺拳法の修練を積んでいた彼は、関節技の使い手であったのだ。その技を活かしてか、整体師の職にまで就いている。いや、あるいは、仕事用に学んだ技術を、悪用していたのかもしれないが。
 何にせよ、彼、とにかく危ない人物である。いつだったか、横行する「オヤジ狩り」に対抗して、「ガキ狩り」を決行するなどと語っていた男である。高校生時代、学校をサボッて、ストリップを観に行っていたという、不良である。魅力的な人物である。
 その叔父の、酒の相手をしなくてはならなくなってしまったのだ、私は。
 といっても、当時、私は、飲酒はしなかったので、この時もやはり、二人の酒豪と一緒に飲むということは、なかった。叔父が10歳のころ、彼に飲酒を強要していた父も、息子には、無理に飲まそうとはしなかった。私は、会話に参加しただけなのである。
 他の家族は皆、寝静まっている。居間で、酔っぱらいの大人2人と、シラフのガキ1人だけが、時間もわきまえず、熱く語り合っている。いや、ガキだけは、敵の威圧感に圧倒され、完全に聞き手に回っていたかもしれない。
 叔父が、若いころのケンカの話を、夢中で話し始めた。
 彼のケンカは、まずは、目潰しや、金的蹴り、あるいは、いきなり鼻をパンチして、鼻血で戦意を喪失させることから始まる。
 目潰しのやり方は、実に多彩で、靴の上に砂をのせて、相手の目を狙って飛ばしたり、文字通り、二本の指で、両の目を突いてしまったりすることもあるらしい。なお、指で目を突いても、大量の出血はあるが、意外と、失明はしないものらしい。
 最初の攻撃で、相手の動きを止めたら、後はもう簡単である。体中の関節を外し、バラバラにしてしまう。それからその後は、マウントポジションから顔面パンチを繰り返したり、色々であったそうだ。
 さらに彼は、究極の必殺技について語ってくれた。
 すでに関節を外し、動けなくなった相手を、背中と背中を合わせるような格好で、おぶう。そして、その背中の上の人物を、おぶったまま、何度も何度も、そこら辺の電信柱に叩きつけるという、血みどろの究極奥義である。
 これを聞いた私は、たまりかねて、さすがに聞いた。真剣な顔をして。
「それで、その、電柱に叩きつけられた人は、結局どうなったんすか?」
 叔父は、今までのハードボイルドな語り口から、打って変わって、アセッたような表情で、返答をする。人形のような、ヘタな作り笑いをしながら。
「それ聞いちゃいけねえよ! それ聞いちゃいけねえ。そんな人がどうなったかなんて、おじさんは知らない。おじさんには関係ないよ」
 私としたことが、愚問であった。
 人には誰にも、話したくない過去があるものなのだろう。どうしたことか、唐突に、一人称が「おじさん」になっていることからも、そのことは窺える。
 落ち着きを取り戻すと、彼は、またも、雄弁にケンカの話を始めた。
 だが、今度は、今までとはわけが違う。
 私に、技を伝授しようという寸法であったのだ。
 私は遠慮したが、全く聞き入れられず、地獄の特訓が始まった。
 まずは、関節技であるが、覚えるためには実演を見ることが不可欠という理屈から、私を実験台に、技の実演が始まってしまった。
 叔父が私の片腕をつかみ、よく分からないねじり方をする。
 途端に、激痛が走った。
 関節技というのは、型さえ覚えれば、誰でも簡単に使うことができる。子供でも、プロレスごっこみたいな遊びで、多用している。私だって、何度もかけられたことがある。
 だが、これは、そんなレベルではなかった。
 確かに、型は、誰でもマネできそうだ。しかし、この痛みはハンパじゃない。これが、本物の痛みというものか。
 私の目に、熱い涙がにじみかけた時、悪夢は終了した。
 叔父の話では、あともう一歩、力を加えれば、関節が外れ、究極の激痛が走るのだという。
 いや、それだけはご勘弁願いたい。
 叔父の指示を受け、彼の片腕を借り、さっき見た通りに、技をかけてみる私。だが、何度やっても、それでは効かないと、ダメ出しされる。
 そりゃそうである。いきなりあんなの、できるわけがない。
 叔父は、気を取り直して、目潰しの特訓に移行することにした。ここでも私は遠慮したが、やはり、無視された。
 今回教えてもらう目潰しの構えは、ボクシングのファイティングポーズの、左右逆バージョンである。利き手の方が、前に出ているのだ。私の場合は、右利きなので、右手が前である。
 足も、利き足である、右足の方が前。そして、左足は、つま先が、斜め左の方向を向いている。上から見下ろすと、ちょうど、逆レの字のような形だ。
 この体勢から、叔父の、ミットのように広げた手のひら目がけて、拳を繰り出し、命中する直前に、勢い良く、グーをパーに変え、指で手のひらを打つ。こんなことを、私は、何度もやらされた。
 続いては、潰さない股間の蹴り方とかいう、わけの分からないものの練習を、空気を相手に、させられた。後ろからすくい上げるように、蹴る練習である。
 そんなバカなことをやらされているうちに、時間は、午前4時を回ってしまった。
 父は、こんな時間になるまで、ただの一度も、叔父の暴挙を止めようとはせず、ずっと、私たちの特訓を観戦して、笑っていた。
 我が父ながら、非情である。
 だが、そろそろ、寝なければならない時間だ。
 根見浜市役所職員組合の役員である父は、明日の朝行われる、組合主催のゴミ拾い活動に参加しなければならないため、6時に起きねばならなかったのだ。そして、そのゴミ拾いには、叔父と私も参加するという話に、いつの間にかなっていたのである。
 いっそ、このまま起きてしまった方がいいような気もするが、やはり、眠かったから、寝たかったのだろう。
 今から寝て、6時に起きれる自信がないと、漏らす私。すると叔父は、心配はないと、言ってくれた。
「大丈夫。知彦は、俺が『起こす』から」
 私は戦慄した。
 「起こす」というところで、叔父の手の動きが、さっきの関節技になっていたためだ。
 だが、結局、私が目覚めたのは、ずいぶん遅い時間であった。
 私と叔父は、寝過ごしてしまったのだ。
 叩き起こすのもかわいそうなので、父は、一人でゴミ拾いに行ってしまったのだという。
 そういえば、この夏休み、根見浜市役所職員組合主催のイベントが、もう一つ、あった。
 東京湾での、簀立てである。
 簀立てというのは、定置漁法の一種で、海の一角を囲うように、海中に沢山の簀を立て、干潮になった時、その中に直接人間が入って、残っている魚を捕まえるというものである。
 これを、体験させてくれるというのだ。
 私は、このイベントに、職員の家族として、参加した。
 あらかじめ、漁師さんたちが立てておいてくれた簀の中に、網を持ち、歩いて入っていく、参加者たち。
 しかし、前日までの天候不順のせいか、この日は、いつもに比べ、海水が、格段に濁っていた。そのため私は、とんだ失態を演じてしまった。
 アカエイを踏み、足を刺されてしまったのだ。
 涙こそ見せなかったが、これは、かなり痛かった。刺された方の足は、太ももの付け根まで痺れ、数時間の間、歩くのに苦戦を強いられた。
 刺されたといえば、3歳のころ、私は、スズメバチにも刺されていたのであった。
 この時は、朝、服を着替えようとした際、たたんであった服の中に、スズメバチが混入していたのだ。そして、怒り狂ったハチさんに、針で突き刺されたのである。
 4歳の時には、2つ年下の弟、明彦に、誤って、ハサミで、左手の薬指を切られている。
 私たち兄弟は、紙パックで、何か工作を作ろうとしていたのだ。私が紙パックを押さえ、弟が、切っていた。だが弟は、押さえていた私の手まで、切ってしまったのである。無論、切断はされていないが。
 なんだか、こういう事故の多い、私である。
 ちなみに、両親の話では、弟に指を切られた際、私は、流れ出る血にも構わず、必死に、「明彦は悪くないから、怒らないでやってくれ」と、懇願したそうである。
 おお、なんという美しき兄弟愛! まさに、美談だ。
 私って、偉人だね。
 流血に泣き叫んだことしか、記憶にないけど。



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