第10話

結婚するって本当ですか


 1学期の期末テストが行われたのは、6月の、23、24日であった。
 これは、我々1年生にとって、初めての定期試験であった。
 普通の中学校には、1学期にも、中間テストというものがあるのだが、三中では、実施されないのだ。そのため、中間テストがあるのは、2学期だけなのである。
 さて、何かの教科の試験中、池田大助殿が、試験監督として12Rに来ていた佐藤綾美先生に、挙手して質問をしようとした。
 池田殿のもとへ近づこうと、歩き始める綾美先生。
「ダッシュダッシュ」
 池田殿は、うかつにも、声を出してせかしてしまった。
 彼は、その場で綾美先生に、喋るなと叱られていたが、まだ、中学校のテストというものに、慣れていないのだ。まあ、仕方がないといえば、仕方がないだろう。
 ところで、この期末テストに臨んで、私は、全く勉強をしなかった。これは、以降も定期試験のたびに繰り返される、私の基本的なスタンスである。いつも、時の運に頼って、テストを受けていたのだ。
 で、この初めてのテストでの、私の成績であるが、国語78点、数学58点、英語73点、社会82点、理科59点、音楽61点で、音楽を除いた5教科合計が、350点というものであった。
 ちなみに、この、350点という合計点数は、哀れなことに、私にとって、3年間で最も優秀なものであった。数学と英語の点数も、同じくだ。教科ごとの点数のバランスも、とても良かった。
 特に、英語が73点なんて、奇跡みたいなもので、「自分の氏名をローマ字で書け」というような、実に簡単な問題ばかりだったため、どうにか、できたようなものなのだ。
 今後、私の、数学、英語、理科の成績は、大暴落していくのである。
 期末テスト期間中の、ある日の放課後、くだらないニセ奉仕活動の、地域のゴミ拾いが、実施された。奉仕部であった私は、しょうがないから、参加してあげた。
 なにしろ、これをサボると、1学期の部活動を全てサボッたという扱いになり、内申点が、大きく下がってしまうのだ。やっぱりこれ、どう考えても嫌がらせである。一体、これのどこら辺が、「奉仕」なんだか。
 私も含む、像東方面に住む生徒は、学校で渡されたゴミ袋に、道に落ちているゴミを詰めながら、像東にある、尾原公園という公園へ向かう。他の地域に住む生徒たちも、それぞれの地域にある、指定された場所へと向かう。
 目的地に着いた生徒は、ゴミ袋を教員に渡し、活動に出席したことをチェックしてもらい、そうしてその足で、そのまま帰宅となる。
 この時、私には、何の達成感もなかったことを、記憶している。
 さて、期末テストが終わると、いよいよ、体育の授業で、水泳が始まる。私はこれを、楽しみにしていたのだ。
 ところで、実をいうと私は、小学4年生になるまで、カナヅチであった。
 小学3年生までは、顔を水に浸けることすら、ままならなかった。
 そのころの、プールの授業の自由時間、私は、同じクラスだった、同じく泳げない平瀬克史殿と二人で、「コアラごっこ」なる、暗い遊びをしていた。
 プールのへりに両手でつかまり、両足を底から離し、壁に掛ける。そのポーズのまま、壁面をつたって、プールを何周も回り続けるという、目も当てられない陰惨な遊びだ。
 いくら泳げないからって、これは、あんまりである。
 ちなみに、私の母も、全然泳ぐことができない。
 そのために彼女は、この近辺では最も優秀な高校、根見浜高校に行くことができたのにもかかわらず、それを蹴り、女子校である、根見浜南高校に進学したのだ。根見浜高校には、プールがあったためである。それほどまでに、プールが怖かったのだ。
 中学1年の私は、すでに泳げるので、さすがに、コアラごっこはしなかった。11Rの平瀬克史殿は、まだまだ現役でカナヅチであったが、やはり、さすがに、コアラごっこはしなかった。
 だが、みっともない遊びをせずに済んだ代わりに、私は、一度、死にかけてしまった。いや、殺されかけてしまった。
 自由時間、私に接近してきた新井直幸殿が、何も言わずに、私の頭を、無理矢理に、水中に押し込んだのだ。
 力の差がありすぎて、いくら暴れても、脱出することができない。
 このままでは死んでしまうと、彼に伝えようにも、声が出せないので、できない。
 彼の体に打撃を加え、必死であることを伝えようと試みるが、水中であるために、緊迫したもがきが、伝わらない。
 意識の限界を感じたその時、ようやく、私は、解放された。
 全く、新井殿、冗談がキツい。死んでしまったら、どうするつもりだったのだろう。
 ちなみに、この当時はまだ、私と新井殿の間には、ほとんど何の関係もなかった。ただの通りすがりさん、というやつである。全く、冗談がキツい。
 12Rの、女子のプールの授業を指導するのは、1年生全クラスの女子体育を受け持つ、34R担任の、吾郷正英先生であった。
 彼は、悪い人ではなかったが、その容姿ゆえに、女子の皆さんから、あまり評判がよろしくなかった。
 ブダイが腐敗菌に冒されたような顔をしている上に、いくらか脂肪の乗った体をしていたのだ。
 プール期間中の、ある日の休み時間、教室で、富塚まき殿と池田大助殿が、彼について、語り合っていた。
 富塚殿は、吾郷先生が、プールの時間、水着姿の女子を見て興奮し、プール内で密かに射精していると、証言した。そうに決まっていると、勝手に決めつけた。
 何の根拠もなく、こんな汚名を着せられてしまった、吾郷先生。私は、同情せずにはいられない。
 さて、話を変え、ここらで、今まであまり出番のなかった、学級担任の西条先生に、スポットライトを当ててみよう。
 ある日の朝の会、彼は、「ウンコをする時、リキむのは、大変体に良くないから、自然に出るようになるまで待ちなさい」という生活の知恵を、我々に伝授してくれた。
 それだけの話だ。
 このころの西条先生には、パッとしたエピソードが、あまりないのだ。
 ある日の全校集会、新米教師の彼に、初めて、体育館のステージに立ち、賞状を読み上げ、生徒に手渡す機会がやってきた。陸上部の、何かの大会の、賞状であろう。
 ステージの上、校長先生の脇に立ち、演台を挟んで、表彰を受ける生徒たちと向かい合う、西条先生。緊張しているのか、落ち着かない様子で、目をパチパチさせている。
 表彰状を手に取り、読み始める彼。
「しょ、しょっ、賞状……」
 のっけから、噛んでしまった。
 初めてのことで緊張しているのは分かるが、普通、ここまでガタガタにはならないであろう。
 やっぱり、パッとしない。
 ある時なんぞは、12Rの生徒の一人、菅佐原恵都子殿に、
「先生って、実はキムタクと同い年なんだよね?」
 と、痛いところを突かれて、申し訳なさそうに苦笑いをしていた。
なお、正確には、西条先生、キムタクこと木村拓哉より、1つ年上なのであるが、まあ、似たようなもんであろう。
 このように、どうもパッとしたネタがない、このころの西条先生だが、そんな彼にも、一つだけ、大きくハッピーなエピソードがあった。
 ある日の帰りの会、教卓に向かって座り、いつものように、生徒たちに話をする彼。
 話の内容が、一つの区切りを迎え、次の話に向かうかと思われたその時、彼は、不自然に沈黙してしまった。ぎこちない感じだ。
「あのー……私ー……」
 ここまで言って、照れたような怯えたような顔で、再び沈黙。かなり、口が重たそうだ。
 次の一瞬、思い切ったように彼が放ったのは、驚くべき真実であった。
「結婚します!」
「エ――――――――――ッ!」
 クラス全体の反応は、世間でよくあるパターンであった。
 こうして、西条先生は、めでたく結婚することになり、めでたく結婚することになったので、めでたく結婚することになった。めでたいめでたい。
 お相手は、聞くところによると、高校時代の同級生で、女優の鈴木京香によく似た、美人だという。
 ちなみに、この結婚をきっかけに、西条先生は、根見浜市の北隣、鳥ヶ崎市にある実家を離れ、奥さんと二人、根見浜市に引っ越してきた。
 生徒抜きで行われた結婚式の、その2、3日後、菅佐原恵都子殿が、朝、教室にやってきた西条先生に、またまた厳しい質問を投げかけた。
「先生、赤ちゃんできた?」
 そう言って、彼女、ニヤケている。
 気の早い人だ。
 結婚する前から妊娠していたなら話は別だが、この3日ほどで子作りをして、その合格発表を受けるというのは、鬼神の如き電撃技である。焼きナスにも、マレーバクにもできない。いや、誰にもできないだろう。
 彼女だって、それぐらいのことは分かっている。分かっていて、わざと聞いているのだ。
 西条先生は、やはり今度も、苦笑いをしている。しかし、苦笑いにしては、嬉しそうな色のある、妙な笑いだ。
 頑張ってほしいものである。
 ところで、西条先生の結婚によって、失恋をしてしまった人物がいた。
 佐藤綾美先生である。
 彼女も、さすがに公言していたわけではないのだが、彼女が西条先生に好意を抱いていることは、12Rの生徒の皆さんも、なんとなく気づいていた。彼女にしてみても、それは、公然の秘密という感じであったようだ。
 西条先生結婚後の、7月17日の、帰りの会の時間、その綾美先生が、12Rにやってきた。西条先生が、研修か何かで学校に来ていなかったので、その代理としてやってきたのだ。
 生徒たちに、2枚のプリントを、重ねて一冊の本のような形に折りたたんだものが、配付される。
 各学期に一回発行される、PTA会報、「倉ヶ丘」の、第76号というやつであった。
 ちなみに、倉ヶ丘というのは、三中の建っている丘のことである。あまり芸のないネーミングだ。
 今回のPTA会報には、2ページに渡って、「思い出の扉 職員紹介」というコーナーがあった。各学年ごとの、教員たちの集合写真と、一人一人の教員の、初恋の思い出などが、掲載されている。
 珍しいものをもらった生徒たちは、帰りの会を始めることなど忘れて、それに読みふけったり、それについて談笑したりしている。
 綾美先生も、それを黙認する。会を始める前の、わずかなざわめきの時間を、許容しているのだ。
 彼女は、私と同じ班の、佐藤和斗殿の席の所で、彼と一緒に、職員紹介のページをのぞき込んでいる。
「何でこんなにケツ突き出してんの?」
 和斗殿が、綾美先生に聞いた。
 確かに、第1学年の教員の集合写真に写る彼女は、若干身をかがめ、尻を、向かって右に突き出したポーズをしていたのだ。
「こうやって、アピールしてるのにね……」
 彼女は、涙声のような作り声で、少し悲しそうに、冗談を言った。
 そう、写真の彼女の、右隣に立っていたのは、西条先生だったのである。彼女のヒップは、ちょうど、彼を指す、矢印のような格好になっていたのだ。
 和斗殿は、笑いながら、写真の西条先生を指さして、言う。
「先生、ダメだよ、これ。隠しちゃってんじゃん」
 写真の西条先生は、両手を結んで、体の前面に垂らしていたのだが、それがなんと、偶然にも、ちょうど、両手で股間を押さえるかのようなポーズになっていたのだ。
 そして、その股間は、綾美先生の尻の、一直線上にあったのである。
 西条先生は、実につまらなそうな、無表情だ。
 よく見れば、なんとも、皮肉な写真であった。
 綾美先生も、寂しく笑って、閉口するより他なかった。
 その晩、家に帰った私は、この、倉ヶ丘を、父に見せた。すると父は、絶叫して、子供のように大はしゃぎしていた。
「ココナッツ・タケだ!」
 それが、理由であった。
 集合写真の、竹浦先生を、見てしまったのだ。
 さて、それから2日後の、7月19日には、もう、終業式である。1学期も、終わりなのだ。
 終業式といえば、通知表である。
 今回の、私の通知表の成績は、5段階評価で、国語と社会が4、数学と英語と理科と美術と保健体育が3、音楽と技術家庭科が2、というものであった。
 やっぱり、これも、3年間を通して、最も優秀な成績である。
 学期を通しての、担任の所見の欄には、「口数は少ないのですが、自分の考えをしっかり持っていて、善し悪しの判断ができます。学習面では、自己表現が苦手なためか実力よりも低い評価をうけているようで惜しまれます」と、記されていた。
 この評価は、少しばかり、極端な評価である。西条先生には、実際以上に、私を暗い人間だと思い込んでいた節があるのだ。
 まあ、いずれにしても、このころの私が、あまり目立たない人間であったことは、事実である。まだまだ全然、覚醒前なのだ。
 ところで、終業式の後の、担任が、生徒を一人ずつ教卓の所に呼び、通知表を手渡す時間、私は、激しい腹痛に襲われてしまった。
 通知表をもらう前や、もらった後の、ヒマな生徒たちは、それぞれ、自由に、友達との会話に興じている。
 これには、成績について話し合っている、担任と、通知表を渡されている生徒の声を、かき消す効果もあるのだ。
 私は、同じ班の船渡川由香殿と、楽しく、トークをしていた。
 だが、腹痛さんが途中出場してきたため、楽しそうに、苦しいトークをする羽目になってしまった。
 この腹痛さんの正体は、下痢さんであった。
 下痢の痛みには、波というものがある。
 下腹を鈍い痛みが襲うのだが、すぐに消える。しかし、しばらくすると、また表れる。だんだん、痛みと痛みの間隔が短くなり、その強さも、激しくなってくる。
 私は、波が襲いくるたびに体をピクピクと震わせながらも、平常を装い、必死に、下校時間まで堪えようとした。
 しかし、ついに刀折れ矢尽き、ギブアップの時がやってきた。
「すいません、ちょっとトイレ行ってきていいですか?」
 取り込み中の担任の所へ行き、横から首を突っ込み、小声で、許可を取る。
 実にくだらない文化だが、中学生ぐらいまでの子供の間には、「学校で大便をするのはタブー」というムードが、往々にしてある。私は、生理現象を恥とする、こんなバカげた文化、くだらないと思っていたし、嫌いだったのだが、このころはまだ、進んで常識を破ってネタにしてやるほど、私の精神は強くはなかった。
 私は、クラス中の、会話のざわめきに隠れて、こっそりと、教室を出た。
 トイレへ突進した私は、個室に陣取り、そこで、ダムが破壊されたかのように、素晴らしい下痢を放出した。
 見事、平和を勝ち取ったのだ。
 暑い夏の、寒い思い出である。



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