第6話
大洋の風(後編)
夜が明けた。
もう、朝が来てしまった。
昨日の雨などなかったかのように、窓から見える空は、澄み渡っている。
恐怖を堪えながら、二段ベッドのハシゴを下りていく。この程度の高さでも、私には十分すぎるほど怖いのだ。
床に降り立つと、おもしろい光景が目に入ってきた。
関屋毅殿、他1名が、なぜか床にあおむけに寝ている、秋元裕介殿の股間に、デカビタCのビンを置き、写真を撮影していたのだ。しかも、秋元殿のカメラでである。
ちなみに、関屋殿と一緒にいたもう一人が、具体的に誰であるのか示されていないのは、それが一体誰であったのか、私には、全く思い出すことができないためだ。
秋元殿は、目を覚まさない。
後で、現像した写真を見た時に、驚愕することであろう。
私は、笑いながら、寝不足の目をこすった。
――それにしても、昨日の夜は長かった。
昨晩、一番最初に眠りについたのは、私の向かいのベッドの、飯塚裕介殿と、関屋毅殿であった。
上のベッドに寝ているのは、飯塚殿である。
もし、彼の体重が、ベッドの耐久力を圧倒し、その底を突き破ったら、下にいる、細身の関屋殿は、まず即死すると思われた。
関屋殿も、そのことは覚悟していたようである。
しかし、実際には、ベッドの底が抜けるようなことはなかった。
その代わりに、ヒドい騒音公害が発生したのだ。
飯塚殿の、凄まじいイビキである。
このイビキのせいか、あるいは、圧死することへの恐怖からなのか、関屋殿の見る夢は、悪夢に決定した。
かわいそうに、彼は、うなされてしまったのだ。
見ているこっちが苦しくなってくるほどの、悲惨な寝姿であった。
哀れを感じた我々は、彼を起こすことにした。
こうして、一時的に、彼は救われたが、根本的には、何の解決にもなってはいなかった。
宿泊学習のため、ただでさえ緊張しているところに、この爆音である。誰が安らかに眠れようか。
この騒音公害の元凶、飯塚裕介殿は、普段、ただそこに存在しているだけで、「幅取んなよ」などと言われてしまう、非常に気の毒な人物なのであるが、今回ばかりは、同情の余地はなかった。
全く寝つくことができない私は、関屋毅殿、城間和樹殿と共に、トイレに行くことにした。部屋ごとにトイレはないので、廊下に出て、少し離れた所まで歩かなければならない。
その道中、我々は、奇妙なものと遭遇してしまった。
なんと、廊下に、巨大な、まな板のようなものが置かれていて、その上に、牧野尚弥先生が寝ていたのである。
「何なの? これ」
関屋殿が、侮蔑を込めて笑った。
私も、同じ気持ちであった。
すでに、牧野先生は、12R中から嫌われていたのだ。
そんなわけだから、彼の名前に、「先生」などと付けるのは、もはやふさわしくない。この物語でも、これ以降、「牧野」と、呼び捨てにすることにしよう。
当時の雰囲気を、よりリアルに再現するのなら、本当は、穂坂貴子先生も、呼び捨てにした方がいいのだが、今から思えば、彼女には決して罪はなかった。その点が、本当に嫌な奴であった牧野とは違うのだ。だから、この物語では、彼女を呼び捨てにはしないでおこう。
トイレから帰り、再びベッドに横たわった私だったが、やはり、全く眠れる様子がない。
さらに時は流れ、私は再度、城間和樹殿と共に、トイレに向かった。
足元が、少しふらつく。夜ふかしは、体力的にキツい。後に、夜行性となる私だが、この当時は、まだ夜は苦手だったらしい。
結局、最後まで起きていたのは、私か、城間殿であった。どちらが先に眠ったかは定かではないが、二人とも、4時台まで起きている羽目になってしまったのだ。
そして、この朝を迎えたというわけである。
6時半までには、全員が起床していなくてはならない。そのころには、なぜか床に転がっていた、秋元裕介殿も、目を覚ましていた。
7時からは、清掃である。自分たちの手で、宿泊した部屋を元通りにするのだ。それが終わると、7時40分に朝食。9時になったら、カッターボート訓練が始まる。
この、カッターボート訓練、もし雨天の場合は、中止して、切り絵細工をやることになっていた。初めて舟を漕ぐことになる私は、楽しみにしていたので、昨日のうちに雨が上がってくれたことに、感謝した。
ちなみに、一体何のために、そんな訓練をするのかは、全く不明である。
青年の家の、中庭のような所に集合した我々は、救命胴衣を着けさせられ、訓練の説明を受ける。要するに、オールの使い方を学ばされたのだ。
港に到着した我々は、ボートに乗り込む。各クラスに1艘ずつ用意されている舟に、一度にクラス全員で乗り込むのだ。それに、担任が加わり、さらに、青年の家の職員と思われる人物が1名、指導員として加わる。
こうして、約40名ずつの乗員を乗せた、5艘の舟は、太平洋へと漕ぎ出した。大げさなようだが、実際に、一応、ここは太平洋なのである。
カッターボートは、やたらと揺れる。オールが水を叩き、しぶきが頭に降り注ぐ。12Rの舟に同乗している、指導員のジジイの、怒号が飛ぶ。
「漕ぐのがヘタな奴は、サメのエサにしちまうぞ!」
客に対して、こんな失礼な口のきき方をするとは、困ったジジイである。
女子の一部が、その言葉を本気にして、動揺し始めたので、余計に腹が立った。
全く、こんな所に、人間を喰えるようなサメが、いるはずがないであろう。
まあ、確かに、ジジイが怒鳴りたくなるほど、我々の漕ぎ方はヒドかった。しかし、それには、大きな理由があったのである。
生徒たちの多くが、船酔い状態に陥っていたのだ。
私も、強烈な吐き気に襲われ、意識を保っているのが、やっとであった。
オールは、2人で1本を扱うことになっていたのだが、途中で私は、ろくに手も動かせない状態になってしまい、相棒の、伊藤貴司殿に、2人分の仕事をさせることになってしまった。
伊藤殿も、船酔いで、気持ちが悪いようであったが、私より数段力のある腕で、必死に漕いでくれた。彼には、申し訳ないことをしたものだ。
しかし、この集団船酔いの原因は、何であろうか?
おそらくは、生徒たちが、全体的に、睡眠不足であったからだと推測される。特に、私など、ほとんど寝ていないのだ。
小舟であるため、ただでさえ、激しく揺れる。そこに、睡眠不足が重なったことにより、悲惨な航海が生まれてしまったのである。
とはいえ、別に、大きな事故が発生したわけでもない。このカッターボート訓練、一応、成功といえるのではないだろうか。
青年の家に帰還した我々は、食堂で昼食を食べた後、退所式に臨む。しつこいようだが、一体、この、「所」というのは何なのだろうか。非常に気になる。
式を終え、青年の家から出ると、観光バスが待っていた。午後からは、バスを使い、学年全員で、根見浜市の南隣、由浜市にある、明座ポエムの森に行くことになっているのだ。
生徒たちは、クラスごとに用意された、5台のバスに乗り込んでいく。
12Rのバスには、担任の西条先生の他に、学年付きの、佐藤綾美先生が乗り込んでいる。
バスが発車する前、新井直幸殿は、綾美先生に、自身が考えた完全犯罪の計画を、話して聞かせていた。
しかし、彼女は、冷めた表情で、言う。
「人に話してる時点で、完全犯罪じゃないじゃん」
全く、その通りである。
また、新井殿は、こんなことも言っていた。
「俺、こんな奴だけど、女に手を上げるようなマネだけは、絶対にしないんですよ」
「エラいじゃん」
綾美先生も、素直に感心する。
その直後、ちょっとしたことで、新井殿に文句を言ってきた、一人の女子がいた。
新井殿は、握り拳を振り上げながら、こう返す。
「何だと、このアマァ! 犯すぞ!」
なかなか素敵なオチを見せてくれる人である。
さて、そうこうしているうちに、バスは発車、明座ポエムの森へと向かう。
この、バスでの移動中、11Rの車内では、担任の、谷文也先生が、カラオケで、歌を披露してくれたという。
その名も、「すげえ男の唄」。
是非聴きたかったものである。
我が12Rのバス内では、大したドラマもなく、我々は、あっさりと、目的地、明座ポエムの森に到着した。
この、明座ポエムの森、はっきりいって、何もない所であった。
我々は、この場所に、2時半から4時半までの間いたのだが、ヒマでヒマでしょうがなかった。
そんな、ポエムの森にも、一つだけ、それなりに楽しめるものがあった。
ゴーカートである。
最初のうちは、多くの三中生が、このゴーカートで楽しんでいた。
しかし、その、唯一の希望も、はかなく消え去る時が来てしまった。
なんと、ポエムの森側が、三中生に、ゴーカート使用禁止令を出したのだ。
「中学生は、ふざけて、人に迷惑をかけるから」という、根拠のない偏見が、その理由である。
はっきりいって、我々は、何の問題も起こしてはいないのだ。全く、ヒドい話である。
これにより、ただ単につまらない所だったポエムの森は、憎むべき所にまで出世してしまった。ここでの出来事など、もはや何も書きたくない。本当のことをいうと、もはや何も書くことなどないのだが。
帰りのバスの中では、多くの人が、疲れ切って眠っていた。もちろん、私も心地よく寝かせてもらった。
気づいた時には、もう根見浜であった。
バスから降りた私は、さわやかな潮風と共にやってきた、この2日間の思い出を、落日に浮かべながら、ゆっくりと家路についた。
|
第6話、読後アンケート!
前の話へ戻る|こゆしんのメニューへ戻る|次の話へ進む