第7話

隣人は猟奇の香り


 一般庶民、特に子供は、残酷な生き物である。
 他人の不幸を、無邪気に、ギャグのネタにしてしまう。
 被害者の遺族や、周囲の人々の悲しみを思えば、申し訳ない限りであるが。
 1997年5月27日、その、戦慄するような事件は起きた。
 午前6時40分ごろ、神戸市内の、ある中学校の正門前に、男の子の切断された頭部が置かれているのが、発見されたのだ。
 被害者の男の子は、神戸市内の、ある小学校の6年生、11歳であった。その口には、「逆奇罵羅逝屠」と表書きされた、犯人からの挑戦状が挟まれていた。
 その内容は、「さあ、ゲームの始まりです」「汚い野菜共には死の制裁を!!」などという、これまた戦慄するようなものであった。
 事件直後から、マスコミ各社は、遺族たちの心の痛みをも無視した、激しい報道合戦を展開、数多くの、不審でない不審者や、絵に書いたような犯人像が、浮かび上がり、追跡され、そして消えていった。
 事件のあった兵庫県の、遙か彼方、ここ、千葉県の根見浜三中にも、犯人の疑いのある人物が、一人、いた。
 私と、関屋毅殿の間では、佐藤長隆殿が犯人であるという説が、有力視されていたのだ。
 このころの休み時間、私たちは、よく、このネタで、彼を冷やかしていた。
「あれやったの、長でしょ?」
「ちげーよ」
 関屋殿は、まるで、周知の事実を確認するかのように、長隆殿に問うが、顔色一つ変えない彼に、あっさり否定される。
 長隆殿は、人格者ではあるが、地味な人柄で、ちょっとノリが悪いのだ。まあ、そこがいい味を出すので、冷やかされるのだが。
 彼が、地味な人物であることの例の一つに、彼の好きな菓子は、せんべいである。中学生にしては、なかなか渋めな好物だ。
 全く関係ないが、せんべいといえば、私には、苦い思い出がある。
 幼少のころ、食べていたせんべいの、噛み砕かれた破片が、どういうわけか、口の中で縦になってしまい、先端が口内の天井に突き刺さり、血が吹き出したことがあったのだ。
 うむ、本当に、全く関係ない。
 さて、6月4日、神戸新聞社に、犯人、逆奇罵羅逝屠から、犯行声明文が届いた。
 その内容に、「一週間に三つの野菜を壊します」という、新たな犯行の予告とも取れる言葉があったことが、また、ネタの引き金になった。
「長、犯行声明送ったんでしょ? 『一週間に三つの野菜を送ります』とかいって、新聞社にカボチャとかキュウリとか送るんでしょ?」
 私は、長隆殿に問いただした。
 すると彼も、
「いや、それ、いい人じゃん」
 今度は、ツッコんでくれた。
 私たち3人は、笑った。
 不謹慎な奴らである。
 6月28日、新たなる犯行のないまま、日本中を震撼させた猟奇殺人者、逆奇罵羅逝屠が逮捕された。しかし、その逮捕は、社会を、さらに震撼させるものであった。
 なんと、犯人は、被害者の頭部が置かれていた中学校の3年生、まだ14歳の少年だったのである。
 世間の衝撃をよそに、私は、関屋殿と共に、長隆殿に詰め寄った。
「中学生ってことは、やっぱり長じゃん」
 長隆殿は否定したが、私たち二人の間では、彼が犯人ということで、事件は解決した。
 限りなく不謹慎な奴らである。
 なお、一応、フォローしておくが、実際の佐藤長隆殿は、大変に穏やかな心の持ち主であり、とても、殺人を犯すような人物ではない。だからこそ、安心して、ギャグにできるのだ。
 しかし、一度だけ、彼の中に、暗い影を見たことがあった。
 12Rの帰りの会には、各班1人ずつの代表が、その日一日の出来事などを簡潔にスピーチするという、面倒なコーナーがあった。
 ある雨の日、そのスピーチで、彼が、こんなことを言ったのだ。
「今日は、雨が降ったので、気分が良かったです」
 冷たい目で、機械のようにこれだけ言うと、席に座ってしまった。
 これには、さすがの西条先生も驚いたのか、苦笑いを浮かべていた。
 あるいは、単なる笑えないギャグだったのかもしれないが、おそらくは、長隆殿のような人物にも、心の闇はある、ということなのだろう。
 だからといって、彼の正体が、凶悪な殺人鬼でないのは、いうまでもないことである。
 いや、もっといってしまえば、逆奇罵羅逝屠にだって、ああならなければならなかった必然性など、なかったはずである。どんな凶悪犯にだって、悲劇性はあるはずなのだ。無論、「だから、逆奇罵羅逝屠は悪くないのだ」などという、愚かなことをいうつもりはないが。
 さて、まだまだ、1学期後半の、私と関屋毅殿による、長隆殿いじりは続く。
 このころ、私と関屋殿は、よく行動を共にしていた。彼は、たびたび、私の家に遊びに来た。
 当時、私たちがハマッていたのが、プレイステーション用対戦格闘ゲーム、『ソウルエッジ』であった。
 私の部屋にはテレビがないので、テレビのある客間で、私たちは、このゲームをプレイする。
 このゲームに登場するキャラクターの一人に、「ロック」という男がいた。
 斧を武器に戦う、野性児で大男の彼は、佐藤長隆殿ということにされ、私たちに愛用された。
 彼は、無敵であった。
 一歩も歩かず、ただ、ゆっくりと斧を前に突き出すだけの攻撃を繰り返すだけで、ほとんどの敵に勝ててしまった。
 敵が、間合いを取って逃げる場合は、空中高くジャンプして、その頭に斧を振り下ろした。
 まさに、無敵であった。
 単に、ゲームバランスが悪いだけのような気もするが、それは、言ってはいけないことである。
 学校での掃除の時間、関屋殿は、よく、両手で持ったほうきを、左足を一歩踏み込みながら、長隆殿に向かってゆっくりと突き出し、
「ロック」
 と、言っていた。
 長隆殿は、そのたびに、得意の打撃攻撃で、関屋殿に制裁を加えた。
 彼は、ロックのことは知らないはずであったが、関屋殿が自分を冷やかしているということぐらいは、理解したのだろう。
 ある日のこと、最強のロックに、ついに、危機が訪れた。
 その時、関屋殿が操る彼は、ラスボス、「ソウルエッジ」と戦っていたのだ。
 だが、激しい攻撃を受け、彼の体力は、風前の灯火になってしまう。
 対するソウルエッジは、ほとんど無傷。
 ――やられる!
 そう、私が思った瞬間、
「長ッ、力を!」
 関屋殿が、叫んだ。
 直後、信じられないことが起こった。
 ロックの斧の一撃を、もろに喰らったソウルエッジが、リングの外の、底なしの異次元世界へと墜落、ロックが、勝利してしまったのだ。
 感激に心埋もれた私たちは、「長のおかげだ」と、いつまでも語り合っていた。
 翌日、登校した私たちは、例によって、長隆殿のもとへと向かった。
「長、昨日はありがとう」
 関屋殿が、感謝の言葉を述べる。
 しかし、当の長隆殿は、不思議そうな顔をして、首をかしげるばかりである。
 さすがは人格者、むやみに、人に恩など売らないのだ。知らないフリさえしてしまう。
 実際のところは、知っていた方が、怖い気もするが。
 長隆殿の、鼻の上の傷が、話題になったこともあった。
 彼のこの傷は、小学生のころ、嵐の日に、公園でサッカーの練習をしていたところ、公園内にある小屋のドアが飛んできて、顔に直撃した際にできたものである。
 この説明を長隆殿から聞いて、私は、幻滅したように言った。
「なんだ、ドアか。このプレハブぐらいの小屋が、そのまま当たったのかと思ってた」
 私は、事故の大筋は、以前から知っていたのだが、飛んできたのがドアの部分だったとは、知らなかったのだ。
「いや、死ぬから、それ」
 長隆殿は、珍しく、目を見開き、いかにもツッコミっぽいツッコミをした。
 私と、関屋殿、長隆殿の3人は、笑った。
 私は、生活記録ノート、「メモリーズ」に、「今日はなにもながった」とか、「今日はなかながたかい時間帰りの会があった」とか、書いたりもした。しかも、「なが」と、「ながたか」を、他の字よりも、濃く書いたのだ。
 だが、西条先生の返答は、それぞれ、「なが」の下に波線を引き、「なまっているぞ」と、「たかい」の下に波線を引き、「どういう事?」というもので、明らかに、「長隆」が元ネタであることに、気づいていなかった。残念。
 他には、当時、私がよく吐いていたセリフとして、
「あのクソ長隆のケツにダイナマイトブチ込んで、粉々に爆破してやりたいぜ」
 というものがあった。
 これももちろん、本心ではない。彼を挑発して、反撃を喰らうために、わざとらしく演技して、使っていたのだ。
 なんだか、こうやって文章にすると、ただの変態みたいだが、実際には、そんなことはない。彼に対する冷やかしは、みんなやっていたことだ。
 さて、話は変わって、英語の時間である。
 1学期も後半に差しかかると、穂坂先生は、生徒たちから、もはや完全にバカにされ切っていた。
 ある時、彼女は、英語の問題の解答を、何人かの生徒に、黒板に書かせた。
 その、何人かの中にいたのが、石浜健一殿であった。
 彼が解くべき問題の、正しい答えは、「six」。これは、誰でも正解できる、非常に簡単な問題であった。
 しかし、彼が黒板に書いた答えは、「sex」であったのだ。
 彼は、全く無表情のまま、当たり前のことのように、この文字を書き、去っていった。
 彼は、本来、なかなか優秀な学業成績の持ち主であるから、これがネタにすぎないことは、間違いない。実際、かなり笑いを取っていた。
 この事態に際し、穂坂先生は、薄ら笑いを浮かべ、
「うん。なんか〜、やってるね〜」
 と、死にかけのキリンのような声で言ったが、すでに、何が言いたいのかすら分からない。
 彼女は、他にも、教科書内の物語に登場した謎の物体を、一目見て、
「なんじゃらホイ?」
 などとつぶやき、皆さんから失笑を買ったりしていた。
 そんな彼女の口癖は、
「Be quiet」
 であった。
 正確には、口癖ではなく、授業中、生徒たちがあまりにもうるさいので、必要に迫られて、「静かにしなさい」の意味を持つこの語を、連発していただけなのだが。
 で、そんな、嵐吹く英語の時間、私は何をしていたかというと、やはり、まだ大したことはしていなかった。
 英語のワークにあった、本来なら、「How about in Japan?」という完成文になるべき、「日本ではどうですか」を英訳する問題の答えを、「We We We Japan?」にした程度であろうか。
 しかもこれは、ある意味、素であった。
 数学だけでなく、英語も全然ダメであった私には、本当の答えなど、分かりっこなかったのだ。
 なにしろ、この当時、私は、「be動詞って何?」という状態だったのだから。ちなみに、今でも、同じ状態である。
 だから、当然私には、先ほどの、石浜殿がボケをかました問題も、解くことはできなかった。
 この辺りに、後に私が、英語の授業で暴走していくことの土壌が、あったのかもしれない。
 くわばらくわばら。



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