第8話

四角いジャングル


 私が、鷹沢宿泊学習で行動を共にした、あの班に所属していたころのことだ。
 昼食の時間、私たちは、いつものように、班員全員の机をくっつけて、一つの大きなテーブルのようにして、それぞれの弁当を食べていた。根見浜市には、一部の地域を除いて、中学校給食がないので、皆さん、自宅から持ってきた弁当を、食べるのだ。それができない人のために、三中には、朝、パンを注文することができるシステムもあるが。
 うっかりしていたのか、私は、箸でつまんだ、油っ気の多いおかずを、机の上に落っことしてしまった。
 当然のことのように、私はそれを、拾って食う。
 すると、大久保靖章殿以外の班員から、一斉にツッコミが入った。
「先生! 樫木が新井になりました!」
 池田大助殿は、席に座ったまま、楽しげに、担任にそう報告した。
 別に私としては、新井直幸殿のマネをしたつもりなどはなく、ただ単に、元々私が、食べ物を粗末にしないというか、卑しい根性をしているというだけの話なのだが、皆さんの目には、どうしてもそう映ってしまうのだろう。
 やはり、我が12Rにおいて、下品さや豪胆さの象徴は、新井直幸殿なのだ。
 学年付きの、佐藤綾美先生が教科担任を務める、書写の時間、彼は、本来の課題を無視して、半紙に、筆で、「殺」の一文字を書いていたことがあった。何枚も何枚も。しかも、意外なことに、かなりの達筆であった。
「先生、これでいいですか?」
 大きく、「殺」と書かれただけの半紙を、綾美先生のもとに持っていく新井殿。しかし、合格にはしてもらえない。
当たり前である。
 こんなものが合格したら、みんな、三輪車みたいに泣いてしまう。
 この授業では、上手かヘタかなどはどうでも良く、与えられた課題を守ることが、大事なのだ。
 ところで、書写の時間といえば、ある時、平野和樹殿が、「寛ボッコ」なる言葉を半紙に書き、皆さんに見せびらかしていたことがあった。だが、この時私には、この言葉の意味が、全然理解できなかった。私が、これを理解できるようになるのは、ずいぶん先の話である。
 新井殿の話に戻ろう。
 どういういきさつだったのかは忘れたが、第3学年学年付きの、中村直美先生が教える、被服室での家庭科の時間、彼は、小西忠幸殿に向かい、よく意味の分からない啖呵を切り、その締めに、
「今日がお前の命日だ!」
 と、言い放ったことがあった。
「全部聞いたぞ〜」
 傍観していた、中村先生が言った。
 聞こえないはずはなかった。だって、授業中である。大声である。
 新井殿は、照れ笑いを浮かべ、自分が本来やるべき、家庭科の作業に戻っていった。
 中村直美先生は、生徒を引きつけるような、すごい技がある人ではないが、温かみのあるおばさん教師で、皆さんから慕われていた。珍しく、新井殿が素直だったのも、相手が、この人だったためだろう。不思議に、激しい気持ちを起こさせない人なのだ。
 それに、彼、元より、キレていたわけではないのだ。多分に、ネタ的な行動だったのである。
 同じく家庭科の時間、彼は、席に座っている佐藤長隆殿に抱きつき、
「長、首筋にキスさして」
 と、唇を、懸命に、その首に押し当てようとしていたことがあった。
 長隆殿は、実に嫌そうに目を細め、体を後ろに反らし、どうにか難を避けようとする。
 無言であった。
 いつもの彼なら、こんな時は、シュールなギャグで自分を攻める者に、一撃を加え、難から逃れるはずなのだが、この時の彼は、それをしなかった。
 正確にいうと、できなかったのだ。
 恐るべきことに、新井殿の戦闘力は、長隆殿のそれを、上回っていたのである。腕っぷしでは、かなわなかったのだ。
 しかし、新井殿は、長隆殿と違い、身長は、普通であった。それでも、強かった。小さな体に、大きなパワーが、凝縮されていたのだ。
 ある日の、何かの授業中、蛍光灯の、修理か何かのために、12Rに、どこかの業者の作業員がやってきた。
 自分の真横で、全く無言のまま、蛍光灯をいじり始める作業員の男を、新井殿は、席に座ったまま、いぶかしげに見上げ、
「What?」
 大胆かつ、無意味な犯行であった。
 そんな、向かうところ敵なしの新井殿にも、ある時、危機が降りかかった。
 学活の時間、担任の西条先生が、常々、人の注意も聞かずに問題行動を繰り返す、彼と、それから秋元裕介殿に、厳しい罰を与えると言い出したのだ。
 まずは、今までの悪行の数々を、親に電話で伝えようと提案する、西条先生。
「それだけは勘弁してくださいよ! 俺、家ではいい子なんすよ!」
 必死の形相で、新井殿が言った。
 クラス中から、笑いが起こる。西条先生も笑う。
 彼が、家に帰れば「いい子」のはずはなかった。誰でも分かる。
 結局、親に報告はされず、罪人2人には、反省の作文を書かせるということで、話はまとまった。
 そして、次の週の学活の時間、完成した反省文を、二人は、朗読することになった。
 しかし、秋元殿は、その反省文を、読ませてもらえなかった。
 「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」と、ひたすら「ごめんなさい」を連呼するだけの、大変いい加減な内容のものだったからである。
 これには、いつも穏和な西条先生も、怒った。
「お前、これで反省してるって言えんのかよ!」
 と、内容チェックの段階で、却下してしまった。
 対照的に、新井殿の反省文は、明らかに、わざとらしくいい子ぶっているのだが、それでいて隙のない内容の、良作であった。
 しかも、彼、意外なほどに朗読がうまく、意図的に、いかにも深く反省しているかのような読み方をしているのは、見え見えなのだが、全体として絶妙なバランスで、どこにも攻め口がなく、笑いさえ誘うほどであった。
 これには、西条先生も、「まいりました」というような顔で、微笑していた。
 身に降りかかった危機を、実にあっさりと切り抜けてしまう、新井殿。しかし、彼にも、たった一人だけ、かなわない相手がいた。天敵とさえいえる相手が。
 それは、11R担任の、技術科の教師、谷文也先生、推定年齢40歳前後であった。
 彼は、授業の時、「原則的には」「企画的には」を、口癖としていた。
 生徒に行わせる作業の、内容を説明する際、文頭に、これらの言葉が、しょっちゅうのぞいた。
 また彼は、極めて大胆不敵な性格の持ち主であった。威厳の匂いさえ、プンプン漂わせていた。
 技術の授業は、技術室で行われる。
 ある日のその授業で、我々生徒は、大変、作業の進みが遅かった。
 痺れを切らした谷先生は、生徒の一人に聞いた。その、地の底から響いてくるような、低く、野太い声で。
「お前ら、次の授業は何だよ?」
「数学です」
「数学? そんなくだらねえもんは中止だ。もう一時間技術だよ!」
 彼は、勝手に、時間割を変えようとしたのだ。
 さすがにこれは、実際には実行されなかったが、彼ならやりかねないと、そこにいる皆が、思ったに違いなかった。生徒たちの真剣などよめきが、それを証明していた。
 このように、谷先生は、非常に高圧的ではあったが、見ているこちらが惚れ惚れするほどの、痛快さを持ち合わせていた。そのため、生徒からも、それなりの支持があった。
 さて、では、彼と、新井直幸殿との戦いを見てみよう。
 1学期の、技術の授業内容の一つに、「ポニートレーニング」というものがあった。分厚い木の板を、馬の形に切り抜くというものである。
 その作業の一部に、電動の、糸ノコギリが使われた。
 しかし、困ったことに、この糸ノコ、ちょっとしくじっただけで、すぐに、刃が折れてしまい、新しい刃に取り替えなければならなくなってしまうのだ。谷先生も、それは計算に入れていたらしく、ある程度は大目に見てくれていたのだが、それでも、一人で、大量の刃を折りまくったりすれば、苦しい威圧を受けることになった。
 新井直幸殿も、糸ノコの刃を、大量に折ってしまった者の一人であった。
「おい、新井、どうやって責任取ってくれんだよ?」
 眉間に深いシワを寄せ、谷先生が、文句をつけた。
 対する新井殿は、怯えた表情で、苦笑い。
「すいませんっ、カラダで払いますよ」
「いらねえよ! おめえのカラダなんか! いらねえよ!」
 表情を崩さないまま、大声で、必死のツッコミ。奇抜な問答に、技術室内は、大爆笑であった。
 またある日、皆が席に着いている、授業の冒頭の、作業内容の説明の時間、いつも活発な新井殿が、やけにおとなしいのに気づいた谷先生は、どうしたのかと、彼に尋ねた。
 新井殿は、答える。
「いや、昨日、親父に、『お前、中学卒業したら、何するつもりなんだ?』とか聞かれて、ケンカんなっちゃったんすよ」
 しかし、谷先生は、いつもの、怒りをたたえたような表情のまま、冷静であった。
「息するって言やあいいじゃねえかよ」
 ちっとも、良くないと思う。
「いや、それはまずいっすよ」
「あん? じゃあおめえ、ここ卒業したら、もう息しねえのかよ?」
「いや、しますけど……」
 あの新井殿が、手も足も出ない状態であった。聴衆は、大いにウケていた。
 新井殿の中で、一時期、「ぱおーん」という言葉が、マイブームになっていたことがあった。
 そのころ、彼は、あらゆる授業の、終わりの号令の際、日直の、「礼」のかけ声と同時に、この言葉を叫んでいたのだ。
 そして彼は、勇敢にも、技術の時間にも、同じことを行おうとした。
 日直の、号令がかかる。
「起立。気をつけ。礼」
「ぱおーん!」
 どっと、笑いが起こる。谷先生だけが、新井殿を睨みつける。
「新井、何だよ? ぱおーんって」
「……えっ、いや、ぱおーんっすよ」
 新井殿、たじたじである。全く、返答が返答になっていない。
 他にも、谷先生は、作業内容の説明の時間、唐突に、
「新井、中山競馬場の、芝2500mのレコードタイム言ってみろよ」
 などと、無茶な質問をしたりして、彼を苦しめた。
 谷先生が、競馬ファンであり、新井殿も競馬ファンであるがゆえの質問であるが、これでは一体、何の授業だか分からない。
 大体、いくらファンといっても、あまり細かい数値まで知っている人は、珍しいだろう。新井殿も、答えに窮している様子だ。
「10秒以内に答えられなかったら死刑。1、2、3」
 そう言って、強引に秒読みを開始する谷先生。しかし、彼は、3まで数えたところで、舌を震わせ、早送りの演出をし、
「10!」
 と、いきなり、3の次を10にしてしまった。
「はい死刑!」
「そりゃないっすよ!」
 哀願する新井殿、死にもの狂い。聴衆はやはり、爆笑であった。
 ところで、新井殿の他に、もう一人、谷先生の被害を、人より多く被った人物がいた。
 大久保靖章殿である。
 彼は、新井殿とは違い、谷先生が、安心してイジメられるほどの、肝の太い男ではなかった。
 では、なぜ、彼が、猛攻を浴びる羽目になってしまったのか?
実をいうと彼、作業が人より遅れているのにもかかわらず、授業中、しょっちゅう、のん気に、他の人と無駄話などしており、それが、谷先生の目にとまってしまったのだ。
 席に座って、誰かと話している大久保殿を発見した谷先生が、地響きのような声で、彼を諭す。
「おい大久保君、サボッてねえで早くやれよ。おめえのHP、1しかねえんだよ」
 大久保殿は、冷水シャワーを浴びた時のように、ブルッと身震いをして、無言で、作業に戻る。
 諭しているというよりは、脅しているといった方が、正しいようだ。
 ちなみに、「HP」とは、「ヒットポイント」のことである。テレビゲーム、中でも特に、RPGにおいて、体力のことを、こう呼ぶことが多い。なぜここで、谷先生がこの言葉を使ったのかは、私に聞かれても困るが。
 谷先生の注意を受け、一度は作業に戻った大久保殿だったが、ほどなくして、彼は、また、雑談天国に舞い戻ってきてしまった。
 それを見た谷先生が、吠える。
「おい大久保、さっきからおめえ、何やってんだよ? 四角いジャングルと呼ばれる、この技術室で!」
 誰も、そんな名では呼んでいないと思うが、その呼び名の意味自体は、あながち、間違っていないかもしれない。
 そこが、怖いところである。



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